明治大学ラグビー部の真髄に迫る『明治大学ラグビー部 勇者の100年 紫紺の誇りを胸に再び「前へ」』読了

明治大学ラグビー部、永田洋光による『明治大学ラグビー部 勇者の100年 紫紺の誇りを胸に再び「前へ」』を読了。

(2024年)7月末を迎え購入していた書籍が2冊にとどまっていたことに物足りなさを感じ、「何かないかな・・」と書店を物色した際に目に留まった著書。

100周年、そして・・

本書は、スポーツライター永田洋光さんに

” 二見書房から「明治大学ラグビー部創部百周年について書きませんか」という話をいただいたとき、真っ先に考えたのが「誰に取材するか」ということだった。”(p269)

と大きな節目を迎えたことでオファーが持ち込まれ出版に至った著書。

 プロローグ

 第1章  創部百周年のファイナル

 第2章  100年の歴史が凝縮したシーズン

 第3章 「明治ラグビー」とは何か?

 第4章  次の「100年」へ

 特別寄稿  北島忠治という生き方 森本優子

という目次立てで、まず創部百周年で大学選手権決勝進出を果たすも

” 「正直なところ、負けた瞬間は悔しかった。応援してくれるみんなの前で日本一をとれなかったのがメチャ悔しかった。キャプテンとして、もっと何かできたのではないかという気持ちもあって、辛かった。でも、あのコールで救われました。すごく嬉しかった。あんなことはリーグワンでも起こらないことだし、なんか学生のオレがこんな経験をしていいのか・・・みたいな気持ちでした。あれは、明治にいたからこそ味わえた経験でしょうね」”(p041)

と残念ながら帝京大学の前に準決勝に終わった一戦の振り返りから 第2章 100年の歴史が凝縮したシーズン では、決勝に至る道のりに焦点が当てられ、第3章 次の「100年」へ では丹羽政彦元監督、田中澄憲前監督、元キャプテンの福田健太さん、武井日向さんら近年の明治大学ラグビー部のキーパーソンが明治復活へ果たした役割に、届かなった思いなどについて言及。

第4章 次の100年へ では、横浜キャノンイーグルス 永友洋司前GM、京都産業大学 元木由記雄GMといった黄金期を築いた時代の元キャプテンが登場し、卒業生を受入れる側、或いは対戦相手からみた明治大学ラグビーについて考察。

” 明治のラグビー部は、1929年から96年5月28日に95歳で生涯を閉じるまで67年にわたって監督として君臨した北島忠治の存在が、今もなお大きな精神的支柱となっている。

その北島が求めたのが、学生の「自主性」だ。

学生が主体的に部を運営するには、必然的にリーダーとなる中心的な存在が求められた。その役割を担ったのがキャプテンだった。”(p049)

” 基本を徹底的に指導する一方で、戦術や戦法の細かい部分は学生たちの「自主性」に任せた。たった一つ、相手を恐れずに「前へ」直進することだけを条件として。以来、現在に至るまで、「前へ」という言葉は、部の根幹をなすアイデンティティとなっている。”(p116)

或いは

” 神鳥が言う。

「明治のラグビーのベースには、大学で体力(フィットネス)や強さ(ストレングス)といった強固な下地を作って、細かい知識やテクニックは社会人で身につけて成長すればいい、という北島先生の考え方があります。僕も基本的に同じように考えています」”(p050-051 / 註:神鳥=神鳥裕之監督)

など明治ラグビーのいろはのいから

” 「寮での私生活や態度が変わると、プレーも如実に変化した。タバコの問題は、準優勝した古川(満)主将たちの代で全員が吸わなくなりました。僕が、生活指導みたいな細かいことを厳しく言ったのは、ラグビー部にはまだ残っていた「悪しき文化」を変えたかったから。”(p127)

と丹羽政彦元監督が手間暇を惜しまず取り組んだ改革に、

” 「少し厳しい言い方をすると・・・」と、永友は、問題点を指摘するところから話し始めた。

「社会人になってから伸びていないというか、明治らしい選手が少なくなってきた。それが端的に現れているのが、日本代表における明治出身の選手の少なさでしょう。”(p209)

目指すべき先に達していない現在地に、、 さまざま明治ラグビー体現者の言葉から明治大学ラグビー部たるものの実像が浮かび上がり、開幕を迎えた101年目のシーズンに合わせ貴重な読書機会となりました。


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