『浅田真央 100の言葉』を読了して「真央ちゃん」のイメージを完全に覆された

フィギュアスケーター浅田真央さんの著書『浅田真央100の言葉』を読了。

採点競技は全般的に馴染みが薄く、フィギュアスケートについても織田信成さんの著書に一昨年(2018年)好感を抱いていながらも

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ジャンプの回転数がTV画面から分からないことなどへのもどかしさ等から、その後も「脇目で見ている」といった距離感。

180度覆されたイメージ

浅田真央さんについては競技の第一人者であったことも、国民的人気があることも承知していながら

「真央ちゃん」の愛称で親しまれるほんわかしていたイメージ、先入観を抱いていましたが、本書を読み

2008年の世界選手権直前

” 真央は決して言い訳をしない。たとえ怪我をしていても、それを公表するのはたいてい試合が終わった後だ。

これも大会後に判明したことだが、世界選手権までひと月もないというタイミングで、練習中に足を負傷していた。左足首靭帯損傷だった。

・・中略・・

それでも真央は、痛む足を我慢しながら、リンクに立つことをやめなかった。”(p53)

或いは、2012年のグランプリファイナル時、

“「腰が痛くて、全然力が入らないので、ジャンプのコントロールができません」

そのとき佐藤は、出場するか欠場するか、真央自身に委ねた。「中途半端ではいけない」と念を押した上で。

その言葉が後押しとなった。わずかな時間の中で「出場する」と決めた真央には、迷いはなくなっていた。そして1位で完全優勝を遂げたのである。”(p133)

と、これに類する発言にエピソードが並び、抱いていたイメージを根底から覆される競技者として並々ならぬスピリットに加え、

” 当時スポンサーもついていて、「みんな来るのに試合に出ないなんて申し訳ない」というのが子どもながらにあったみたいで、「あぁ、もう自分のためだけにこの子はスケートをやっていないんだ、大変なんだ」と思いました。つらかったと思います」”(p73)

と、お姉さんの浅田舞さんの上記コメントから伝わる早くから背負っていた人々の期待に・・

更に、2011年の全日本選手権直前にお母さまを亡くされた時のエピソードに、訃報を振り切り、直後の全日本優勝選手権で優勝を遂げた経緯等々、

本を日常的に読んでいますが、これほど心を揺さぶられ感動的な読書は、記憶を辿ってもすぐに頭に浮かんでこなかった次第。

恩師の思いを体現したスケーター

本書は、タイトルの通り、浅田真央さんから発せられた100の言葉から、当時の背景であったり、言葉の意味するものなどが解説といった形で添えられています。

amazon購入特典で封入されていたポストカード

フィギュアスケーターの一歩を踏み出すことになった恩師 山田満知子コーチから

” 結果とかじゃなくて、誰からも応援されたり、愛されるスケーターになりなさい “(p262)

と贈られた言葉を胸に刻んでの現役生活であったとのことで、見事、その言葉の実現し、私自身、完全に出遅れて浅田真央さんの魅力、本領に目を見開かさせてくれた著書でした ^〜^/


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