東京都民につき(2016年)7月は、2回選挙に投票することになりますが、
このところ立ち止まっている人というとポケモンGOのプレーヤーか、選挙演説を傾聴している有権者かといった具合で
携帯端末でゲームをやる習慣のない自分としては、地元、ターミナル駅前に通りかかった際、人だかりを見つけると、
時間との相談で、候補者前の群衆の中で、しばし立ち止まっています。
今月最初の選挙、参議院議員選挙は事前に世論調査等で大勢が決してしまっていたかの感じで
さほど熱気を感じませんでしたが、東京都知事選挙は主要かそうでないかの区分はありますが、
主要とされる候補者達で、つばぜり合いとなっている模様で、熱気も伝わってきます。
先日、すべてではないながら複数の候補者が一同に会する街頭立ち合い演説会に足止め出来る時間があり
その人間性であったり、主張を耳を傾けられる機会に遭遇し、興味深かったです。
TVコメンテーターばりに世相を斬る候補者もいれば、自身のキャリアに沿って社会問題をあぶり出す候補者に或いは主張が響いてこない候補者であったり・・
印象的であったのは「死に票」に対しての考え方で、ある候補者曰く「死に票というものは、存在しないのだ」と。
その解釈は「当選者からみて、落選者の票数によっては(その候補者の)主要政策に目を向けざるを得なくなるものだ」と。
告示当初は特定の人物名は頭にないながら、候補者名を一覧して、新たな首長に対する期待感の高ぶりは感じられなかったものの
SNSで気になった候補者の動向を確認したり、こういった演説会を通じて考えが収斂されてきたように思います。
いまだ選挙期間中につき(投票日五日前)、当初は今回のような内容を扱うのは来週と考えていましたが、
まだ候補者が定まっていないという方であったり、投票すら・・といった方々に
私のように行動を起こしたら起こしたで、考えが浮かび上がってきたり、まとまっていくこともあると思い、一回自身の考えをオープンにしてみようと思いました。
だいたい近年の投票率50%前後といった印象で、自分の一票の行方で、候補者の当落が決まるわけではないので、
投票所に足を運んで一票を投じることの意義すら見出せないという方も少なからずいらっしゃるものと推量しますが、
何か志があって、わざわざ(身銭を切って)金三百万円の供託金を収めて、
大衆の視線なり、批判なり、無関心にさらされる立場を選択した人たちの思いに触れられる機会、
(当落の)結果は、良かれ悪かれ皆が出してくれることになりますが、熱気の中に身を投じてない手はないように感じています。