昨年(2015年)開催されたラグビーワールドカップで中心的な役割を果たし、ALL BLACKS:オールブラックス(ニュージーランド代表)を王座に導き、
それ以外でもワールドラグビー年間最優秀選手賞に輝くこと三度Dan Carter:ダン・カーター選手のこれまでを綴った自伝、
『ダン・カーター自伝 オールブラックス伝説の10番』を読み始め、全部で16章あるうちの第5章まで読み終えたので、そこまでの振り返り。
用意されたステージ、周囲のサポート
1ページ800文字程度で、全350ページ及ぶ分量から、本を購入する前は及び腰になっていたところがあり、
自伝の場合、年代順に綴られ、最初の方の幼少期、無名時代のあたりは退屈してしまう場合も多いですが、
本書を読み始めてみると・・
” ある年の夏、父が畑を潰して芝生を植えてくれた。家の隣にラグビー場ができたのと同じだった。
それから十年、僕たちはほぼ毎日、学校が終わるとそこで夢中になってラグビーをした。
もしあのとき両親が副収入を捨ててまで芝生の広場をつくってくれていなかったら、僕の人生はたぶん今とは違ったものになっていたはずだ。
あの広場があったからこそ僕はラグビーにとことん熱中できたのだし、遊びのなかでひたすらに繰り返して身につけた技術もたくさんあるからだ。”(p31)
更に・・
” 八歳の誕生日の朝、目を覚ました僕はベッドから飛び起きると、廊下を歩いてキッチンに向かった。
キッチンに入ると、窓越しに広場を眺めていた父がこっそり振り返り、僕にも表を見てみろという身振りをした。
そこには、朝の太陽の下でキラリと光を放つ、ラグビーのゴールポストがあった。
クラブにあるゴールポストと同じ本格的な造りのもので、サウスブリッジのチームカラーである青と白で塗装されていた。”(p32-33)
と、両親が幼少の頃から息子の才能を見出していたのか?、ダン・カーター本人は謙虚な性格のようで
その辺は本からうかがい知れませんが、身近にラグビーに打ち込める環境が提供され、また周囲の理解もあり
” おそらく僕がオールブラックスのメンバーになれたのは、こんなふうに純粋な喜びに導かれてひたすらラグビーをした子供時代があったからだ。
僕たちは遊びながら、知らぬ間にラグビーの練習をしていた。タックル、パス、キックーーー。
・・中略・・
自分の家をゴールポストに見立てて、プレースキックの練習もした。ボールはしょっちょう屋根にぶつかり、転がって雨樋越しに落ちてきた。
父は何度も屋根の修理をしなければならなかった。大変な手間だったはずだが、怒られたことは一度もない。”(p32)
なお、この打ち込みようが、既述の八歳の誕生日プレゼントにつながるわけですが、ダン・カーター選手にとって、この時期に才能が開花する素地が育まれ、重要な時期であったことがよく分かります。
オールブラックス選抜、そして・・
これまで読んだところは、オールブラックスに選抜され、主にバックアップメンバーとして名を連ねたワールドカップ2003年大会のところまで。
これから計11章(別途、ファイナルイヤー・ダイアリー等)、230ページと先は長いですが、
稀代のラグビープレーヤー、ダン・カーター選手の歩み、知られざる内側の世界を楽しみに読み進めていきたいと思います。