百田尚樹さんが讃えたオーストラリア人の公正さ
” こうした当時の記録を見ていると、オーストラリア人の持つ公正さに感心する。イギリス流のスポーツマンシップの伝統があったのか、これは民度の高さといっていいのだろう。
ボクシング興行の持つ醜い側面が浮き彫りになったこの試合での、これはひとつの救いである。
原田もまた翌日の新聞を見て、悔しさが癒された思いがしたと語っている。
余談だが、オーストラリア人がこの時の原田にいかに感銘を受けたかということを示す面白いエピソードがある。
この試合の三十七年後の二〇〇六年にオーストラリア競馬史上採鉱額の二千二百五十万豪ドルでアイルランドに所有権を移された名馬に「ハラダサン(Haradasun)」という名前が付けられた。
この名前の由来はファイティング原田の「原田さん」という日本の呼び名を英語表記したものだ。いかにオーストラリア人たちの間で「原田」が尊敬されているのかがわかる逸話だ。”(『「黄金のバンタム」を破った男』p300)
1969年7月28日、ファイティング原田さんがシドニースタジアムで、(当時)WBCフェザー級チャンピオンのジョニー・ファメションと三階級制覇をかけた試合で下された不可解な判定に対して
オーストラリア人たちが示した反応を作家 百田尚樹さんが讃え、(サラブレッドの)後日談を加えたくだりを抜粋。
スポーツの世界でしばし「ホームアドバンテージ」「アウェーの洗礼」といった表現を耳にしますが、
公正さが前提となるスポーツが、「スポーツ大国」とされる域にあるオーストラリアの一端を示すエピソードと云えるのかもしれません。