森本稀哲さんの清々しいまでの前向きな姿勢が眩しかった:『気にしない。』刊行記念講演会 参加記

先週、読了記↓をアップロードした

<< 2017年9月17日投稿:画像は記事にリンク >> 森本稀哲さんが綴った現役選手生活の光と陰、そしてド派手なパフォーマンスで伝えたかったこと:『気にしない。』読了

森本稀哲さん(元北海道日本ハムファイターズ他)の著書『気にしない。』の刊行記念サイン会に参加。

当初の予定枠80から30増員しても、満席となる人気ぶり

告知後、TV番組『しくじり先生』の出演があり、当初予定していた参加枠80を110に増員するほどの人気で

開場後10分程度経過してから入場すれば、ほぼ前方に座る余地がなく、それでも隙間を見つけて二列目中央(ブロック)に滑り込み ^^;

開場後、程なく前方から中頃までは満席に・・

笑顔の裏側と、乗り越えてきたもの

定刻になり、出版社の編集担当の方に紹介され登場。本では新人の頃、生意気であったような記述がありましたが、

初めて目の前にした森本稀哲さんはユーモアを織り交ぜ、親しみやすい第一印象。

以降、編集担当の方がネタ振りしていくような形で講演が進められていきましたが、

本と違った感じで伝わってきたのが、北海道日本ハムファイターズからFA(フリーエージェント)の権利を行使して移籍した

横浜DeNAベイスターズ時代の3年間の闇が深かったんだな」ということ。森本稀哲さん曰く

「3年間、全く成績を残せなかった」という振り返りに、契約最終年となる3年目に「キャプテンになって欲しい」との依頼を受け、

熟慮を経て受諾するつもりも、他の人に決まった旨を告げられた他、当時、一軍を率いていた中畑清監督から

開幕時に「夏まで二軍で頑張って欲しい」旨を言い渡され、呑まざる得なかった心境など、

思いは先ばしれども、現実が追いつかず、噛み合わぬ日々が色濃く伝わってきました。

講演後に開催された撮影会での一コマ

但し、チャンスすら与えられない状況に腐ることなく(読了記と重複しますが)二軍で万全の準備、全力を出し切る姿勢を貫き、

結局、その努力が横浜DeNAベイスターズが報われることがなかったものの

その姿勢が埼玉西武ライオンズの編成担当の目に止まることに。そして移籍1年目はご本人も納得出来るような数字を残し、

2年目は(読了記でも取り上げた)引退試合でチームメートが「稀哲さんに回せ!」を合言葉に、「僅か在籍2年目の自分のために皆が一丸となってくれた」と感動的なエンディングを引き寄せ、

それは森本稀哲さんが才能を上手く結集させられないでいた埼玉西武ライオンズの選手たちに伝えたかったことで、悔いなくプロ野球選手生活を終えることにつながったと。

引退試合で森本稀哲さんが流した涙の真意に触れることが出来ました。

新たな船出、森本稀哲さんの現在地

講演の中で印象的であったのは、北海道日本ハムファイターズ(前身を含む)、横浜DeNAベイスターズ、埼玉西武ライオンズの何れが欠けても

森本稀哲さんのプロ野球人生が完結することはなかったと、プロセスの全てを肯定されている姿に、清々しさを感じました。

1981年生まれでまだ36歳。ご自身は「社会人2年目」と謙遜されていましたが、引退後はTV出演や講演の依頼等々、

引退した時点では考えてもみなかった環境に身を置く中で、今はスキルアップを心掛けておられるとのこと。

講演、質疑応答後に設けられた撮影タイムでの公認自撮り

北海道日本ハムファイターズでは主力選手の一人としてチームを日本一に導き、一転、横浜DeNAベイスターズでは二軍で不遇の生活を強いられ、

講演会のサイン会で頂戴したサイン.-

幼少期に向き合わされた病気との葛藤など、

天と地の両極端を短い期間の中で経験され、一般の人の何人分かの人生を生きているかの印象も抱きましたが

あくまでも前向きな姿勢に、森本稀哲さんの人がらと、年下ながら大事なあり方を再認識させられた講演会でした。

 


Comments

comments