明治大学ラグビー部、ラグビー日本代表などで活躍された吉田義人さんの初の著書
『矜持 すべてはラグビーのために』を読み始めてから十三章まであるうちの第三章まで読み終えたので、そこまでのおさらい。
先日、参加したトーク&サイン会↓の対象書籍として入手したもので
第三章までに書かれてあることは、幼少の頃、貧しさと向き合いながら育ってきた境遇に、
ラグビーとの出会いから明治大学に入学から、もはや伝説となっている大学1年生時の雪の早明戦のエピソードといったところまで。
運命に翻弄され進学することになった明治大学
印象的であったのは、トーク&サイン会でもお話しのあった明治大学入学に至る経緯で、本では詳しく書かれており、
” 当時、ラグビー以外で夢中になったものがある。それが水谷豊主演のテレビドラマ『熱中時代』だった。
毎週欠かさず観たテレビ番組は、他にない。そして知らず知らずのうちに、教師という職業に憧れるようになっていた。
大学でラグビーを続け、やがて水谷豊が演じる北野広大のような、子供たちに慕われる教師になることができたら。
教師になるなら体育の先生。そして、体育の先生になるなら、日本体育大学。そう考えていた。ただし、うちには大学の授業料を払えるほどのお金はなかった。
進路相談の席で中野先生(註:当時の秋田工業高等学校ラグビー部監督)に希望を伝えると、連絡をつけてくれたのが日本体育大学の綿井永寿先生だった。
中野先生は日本体育大学の卒業生で、当時、日体大のラグビー部の部長をされていた綿井先生の後輩にあたり、「うちの吉田が日体大を希望しているのですが」と話してくれたらしい。
・・中略・・
綿井先生が中野先生からの知らせを大いに喜んでくれたと聞いた。「吉田なら、特待生で受け入れさせてもらう」。そういう返事だったそうだ。
この報に、私の方こそ大いに喜んだ。特待生なら授業料も寮費も免除され、親に一切の負担をかけなくて済む。
そしてラグビーを続けることができ、体育教師の道も開けているのだ。ほんとうに、飛び上がりたいほど嬉しかった。
もちろん、両親も姉も喜んでくれた。中野先生が家に説明に来てくれ、ほぼ正式に「特待生での日本体育大学入学」が決まろうとしていた。
しかし、私の知らない東京では、思いもよらないことが起こっていた。”(p52-53)
状況が一変した経緯は本書を読んでのお楽しみとして頂ければと思いますが、進学先が明治大学になったことについて
” 国立競技場での早明戦の舞台に憧れはあったが、日体大の話がほぼまとまったときに、その夢は消えていた。
しかも、万が一にも早明戦への出場が叶うなら、早稲田大学だと思っていた。
パスワークとスピードでディフェンスを切り裂いていく早稲田のラグビーの方が、自分のスタイルに近いと思っていた。
かたやフォワードのパワーと突進力で押しまくる明治のラグビーには、まるで興味を持てなかった。”(p55)
と何とも180°な展開で(笑)
この逆転劇が吉田義人さんの後の人生に大きく影響してくるわけですが、
引用箇所以外でも、切なくなるような恋愛話しも綴られており、
吉田義人さんのイメージ(に沿う部分)と、(乖離のある)実像に迫れ、興味深くページを読み進められており、
また一波乱、二波乱あったであろうこれからのお話しも楽しみに読み進めていきたいと思います。