ノッポさんこと、高見のっぽさんの自伝『夕暮れも とぼけて見れば 朝またぎ』を読了。
先日参加した(高見のっぽさんの)トーク&サイン会
の対象書籍として入手したもの。
何回目にしても、記憶されないタイトルとともに、文体の方も個性的。
また、時系列にも前後があり、サッーといった感じで読み進められる分、中途から歩留まりも気になったりしましたが、
芸人であられたお父様の鞄持ちという形で、その道を歩み始めたところは・・
” 兄貴とそのお嫁さんは三鷹の駅からバスで一〇分ほどのところに家を借りると、そこで美容器具なぞを作って問屋さんにおろしていた。
兄貴はその家に一部屋つけ足して岐阜からの三人組を迎えてくれたのである。
すべてを兄貴に任せるわけにはいかないから、三人組の長である親父殿は喜んで「チャーリー高見」になった。
そして高校二年生の息子が「鞄持ち」に指名されたのである。”(p26)
高見のっぽさんの代表作『できるかな』を振り返り・・
” 『できるかな』スターパレード
造形番組といわれているんだから、その番組に登場する工作物、「作りもの君」を主演者と奉り、残るノッポ、ゴン太、声ののこ姉ちゃんをひとからげにして共演トリオとへりくだっておく。なあに構わない。
現に工作担当ノッポとその助手ゴン太は、その工作物が自分たちからはなれた途端に「ウワッ?!すごいヒトが出てきたよ」とその「作りもの君」に目を丸くしていたのである。
声ののこちゃんだって彼女独自にきめごとを持っていた。リハーサルでは「作りもの君」を見ることを拒否した。
「いやーっ!!見せないでぇ!!見ないって言ってるでしょうが、何度言ったらわかるのよ、私はそれを本番で初めて見て、『キャーッ、すてき、すごい、面白い!』ってやりたいのよう」
このトリオはかくのごとく、この主催者に敬意を払い、それよりなにより文句なしに大好きだったのである。”(p104-105)
但し、
” 五〇年前、番組スタートの時、猫とねずみを描かされた。それを前にして、ぼくと造形指導の枝常氏はしばし沈黙の時間を持った。
「お客様が四、五歳だからなあ。こりゃ、程度としちゃ七歳くらいかな」
ぼくが枝常氏にたずねると、
「お客様には憧れの絵描きさんでなくちゃ困ると思うんだ。同程度でも問題なのに、自分よりヘタクソな絵描きさんの絵を見てくれるとは思えないよ。よし、なんとかしよう!」
「そうだ、なんとかしよう!・・・なんとかしてくれたまえ」
そして、ノッポさんは子どもたちにとって、それはそれは素晴らしい絵描きさんになった。
これはぼくと常枝氏の努力の結果なのだ。すべては努力、努力の賜物なのだ ー どっちがたくさん、そしてどのように努力したかは言うまい。”(p114)
という裏話しに。高見のっぽさんが歩んだ足跡に、『できるかな』の知られざる舞台裏に、存分に「昭和」の臭いが漂ってくる内容となっています。
ノッポさんを通じて感じる「昭和」
私自身、幼少の頃に昭和を過ごした者の一人として『できるかな』は当然、脳裏に刻まれているものの、
他の番組と比較して特に思い入れがあったわけではなく、番組を見ていた時も何となくという感じであったろうと。
ただ、番組を象徴していたノッポさんについては
昭和のあの頃の懐かしさが凝縮されたような存在として捉えていることにトーク&サイン会で改めて気づかされ、
本書で高見のっぽさんが生き抜いてきた時代(昭和)を文字で振り返ることで、その思いが強まったように感じています。
また、高見のっぽさんの人がらに、ときに内面(の棘)に触れ「親しみ」という感情も、本を読みながら繰り返し感じたことでした。