先日、中間記をアップロードした
歴史学者 山内昌之さんと佐藤優先生の『大日本史』を読了。
後半は、
第五回 満州事変と天皇機関説
第六回 二・二六事件から日中戦争へ
第七回 太平洋戦争 開戦と終戦のドラマ
第八回 憲法、天皇、国体
という内容で、「(やっぱり)難しかったなぁ・・」というのが、実際のところでしたが、
「第七回 太平洋戦争 開戦と終戦のドラマ」の
” 佐藤 その一方で、私は、この杉山に代表される軍人たちは、ある意味で、非常に「合理的」な精神の持ち主であると思うのです。
たとえば日本の国力を考えた場合、アメリカと戦争をすれば、優勢を保てるのはせいぜい三〜五カ月だろうという計算は、その後の選局から見ても、極めて正しかった。
山内 日本が負けるという意味ではね。
佐藤 その通りです。三〜五カ月しか攻勢が続かないという読みは正確ですが、彼らは「勝てる」という想定しかできなかった。
「負ける」と言ったら自分の地位、軍隊の存在価値が否定されるという前提でしか思考できなかったからです。
その「合理性」がきわめて狭いもので、陸軍の組織原理の内部だけで成立していた。
対米戦争は、日露戦争以降、はじめての日本が負ける可能性がある戦争でした。
そもそも戦争というものは、勝つこともあれば負けることもある。どの程度の負けなら許容できるか、そのときの幕引きはどうするかを想定しない軍隊、政治のあり方こそ異常だったのです。
もし近代日本がどこかで敗北を経験していたら、劣勢のなかでの和平がシミュレーションできていたかもしれません。
山内 実は昭和天皇は、開戦前に、佐藤さん御指摘の戦争終結の問題に心を砕いているんですね。
昭和十六(一九四一)年十一月五日の御前会議で、原枢機院議長が<日本が参戦した場合、白色人種国家である独英米間の和平により、黄色人種国家である日本が孤立しないよう政府の善処を切望する>旨の発言をしていますが、これは明らかに天皇の意思を代弁したものでしょう。”(p204-205)
といった件は、昨年(2016年)の夏合宿 ↓
での記憶を引っ張り出させられ、歴史の要諦、「重要なところは繰り返し出てくるなぁ」と、
継続、蓄積の流れで、今年も歴史に対する理解を深めていこうと感じた次第。