日曜日を一般的なカレンダーの如く、週の最初と扱うか、感覚的にフィットする最後と扱うか
月、火、水、木、金、土、日で考えた今週を振り返ると、これを書いている日曜夜に2つ印象に残っていることがあって、
1つは毎秋開催されたいたLOUD PARKの開催見送り。
「見送り」に至った背景を、ツアーに出ているアーティストの都合などと一時的な状態と受け止めていたら・・
受け容れるファン側の問題を指摘するなどした秀逸なブログ↖がシェアされてきて、その洞察の深さに唸ることしばし。
自分自身はMotley Crueがヘッドライナーを務めた(今、確認してみれば)2008年のみの参加であったと記憶していますが、
行かなかった大多数の時も、行っている人たちの模様をSNSで確認して「今年もLOUD PARKの季節(10月中旬)まで来たかぁー」と、
すっかり年中行事として定着しており、ブログで指摘されたトーンダウンの流れを回避出来ないのなら、ちと寂しいなと。
ブログに強く共感した点は世代交代(⇨ヘッドライナーを務めるバンドが限られる)、ネガティブコメントといった点ですが、
毎年ラインアップに関わらず、翌年以降にバトンを繋ぐべく足を運んでいたファンに敬意を評したくなる思いでした。
もう一つは、『国体論 菊と星条旗』の著者 白井聡さん登壇のトークイベント👇で、
相手方を務められた國分功一郎さんについて、「どんな本を書いているんだろう?」と調べていて検索された
『暇と退屈の倫理学』のAmazonの読者レビューで、
” ふと感じる「退屈」について、過去の哲学者の分析をベースに、独自の捉え方についての著者の整理、深化の過程を一緒に楽しめます。”
の一文を読み、
(同書の内容と一致するか?ながら)「退屈=悪、良からぬこと etc」の図式を自然と刷り込んでいましたが、
「退屈」に関して認識を改めると「感覚を新たに出来ることがあるかもしれないな」などと、しばし思考を旅させられたこと。
一見、自分の価値観が長年染み付いていることでも、「(思っていたように)悪くない」といったこと結構ありそうです。