『解説者の流儀』を読了.-
後半(第7章〜)は、自分が戸田和幸さんの著書に興味を持つきっかけになった
” 視聴者が見る映像が、ボールを中心とした周辺の5、6人の選手しか映っていないような映像では、チームとしての取り組みについて伝えることは不可能だ。
サッカーはボール周辺だけで成立するスポーツではないからだ。
・・中略・・
ふたつのチームがどのようにボールを保持しそして奪い、ゴールを目指そうとしているのかを伝えていくためには、やはり「引き」の映像が必要になる。
ボール周辺だけを切り取った映像の連続では、けっしてその魅力は伝わらない。”(p224-225)
と、TV映像に関する根源的な指摘があり、このことは2013年に自分がチャンピオンズリーグ決勝を現地へ観戦に訪れた際、
スタンド上部であったことから、ボールの動きに応じてフィールドプレーヤーがコマ送りされるが如く、
統率的に動く様から感じていたことで、今までこのような指摘を他で見たことがなかったことから凄く腹落ちすることでした。
また、読んでいて有り難かったのは、
” 現在、世界のサッカーをリードしているのは、マンチェスター・シティのグアルディオラと、SSCナポリのマウリツィオ・サッリ。このふたりが現代サッカーの双璧だと考えている。
・・中略・・
一瞬たりとも相手に主導権を渡さない、見事にオーガナイズされた、攻守にアクションを起こし続けるナポリのサッカーは美しい。”(p173/175)
と、
” 長い期間、日本サッカーは世界の強豪国の背中を追い続けてきた。先を走る者たちは常に最先端の理論やテクノロジーを駆使し、すさまじい競争のなかでさらに進化している。
そのことを考えれば、いつまでたってもその差は埋まらないだろう。戦術はますます複雑化し、選手たちに求められている能力も同様に、複雑でより高度なものとなっている。”(p234)
世界のサッカーの現在地から全般サッカーの見方に言及されている点は、本書で登場する「フットボール・ジャンキー」ならずとも、
私のようなビッグ・マッチしか観戦しない人間でもフットボール(サッカー)IQを高めてくれる感じが、全255ページに見合う読み応えを実感させてくれました。
滲み出る解説者としての覚悟
先日の福田正博さんのトークショーに参加した際、サッカー解説の話題の中で戸田和幸さんの名が上がった時に、
福田正博さんが「あいつは凄いね」と評価されていて、そのことを文字で追うことの出来る一冊と思います。
因みに気になる開幕間近に迫った2018 FIFA ワールドカップ ロシア大会の日本代表に関しては
” 日本サッカー協会のマネジメントに物足りなさを感じ、ハリルホジッチ前監督がここまで見せてきた代表チームのサッカーに不安を感じていた僕としては、今回の問題はピッチ内外の複層的な問題として考える必要があると思っている。”(p228)
と手厳しく、正しいアプローチがあってこそ望むべく結果が導かれるということなのでしょうが、
迫り来たワールドカップの結果はどう転ぶか分かりませんが、自分の立場をはっきりさせて言うべきことを言う、という姿勢に解説者としての覚悟、サポーターからの支持を勝ち得ている源泉があるように感じました。