取り壊された母校、、 そして跡形もなくなった(続 桃丘小学校 その後)

昨年(2017年)8月の最後の内覧機会↓から

<< 2017年8月27日投稿:画像は記事にリンク >> さらば桃丘小学校 〜取り壊しが決まった母校にさよならをしてきた〜

約1年。

5月に一度、母校 中野区立桃丘小学校のその時点の状況を記事にしていましたが、

<< 2018年5月12日投稿:画像は記事にリンク >> 取り壊された母校、、 そして瓦礫のみになった(桃丘小学校 その後)

その後も当然の如く、解体作業は進んでゆき・・

2018年6月2日 撮影(確か、東門であった場所から)

遂にというか、今日現地を確認してみれば

現在までの解体状況(2018年7月21日 撮影)

跡形もない状態に、、

2018年8月19日現在(敷地西側からの眺め)

多感な6年間学びに遊びをひたすら重ねていった校舎に、駆け回った校庭であった場所には・・ もはや工事用の鉄板に車輌が残るのみ。

この世は諸行無常なり

たまに久しく訪れていなかった場所を訪れると、当然あると思っていたものが無くなっていたり、姿形を変えていたり・・

という状況に遭遇し、衝撃を受けたりすることがありますが、

今回は(上述の)最後のお別れの儀を経て、その後も、時折、解体状況を目視していたので、

後戻り出来ない寂しさはあるものの、昨夏予想していたような喪失感には至らず。

土に覆われた跡地(2019年5月2日 中野サンプラザ20Fから撮影)*2020年1月3日更新

これからは近くに足を運んだ際などに、記憶の中で立体化される場所になると思いますが、これも自分史の中での現実ですねー


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