『燃えよ左腕 江夏豊という人生』を読了。
ピッチャーではないながら、幼少の頃のリリーフエース 江夏豊選手の残像は、いまだ強烈に脳裏に刻まれており、
あまりこのタイミングで「(元)野球選手の本」という気分ではなかったですが、いざ読み始めたら興味津々の内容続きで快調に最終ページ(p258)まで。
江夏豊伝説の裏表
江夏豊さんの(プロ野球界に入る前の)幼少の頃から網羅的に振り返られており、高校卒業後の進路を・・
” 頭のなかはもう、東海大のエースとして活躍する姿だけ。
・・中略・・
ところがドラフトですべてが変わった。一九六六(昭和四十一)年九月五日。甲子園にも出ていない自分が指名されるとは夢にも思わず、阪神に1位指名されたと聞いて驚いた。
・・中略・・
指名後、阪神の最初の使者として、河西俊雄スカウトが来られた。
・・中略・・
「プロ野球のスカウトってこういう人なのか」と物珍しく思っただけで、大学に行きます、と返事をした。
河西さんでは話が進まないと考えたのか、阪神は佐川直行さんというベテランを立ててきた。「ちょっと会いたい」と、大阪・梅田の喫茶店に呼ばれた。
開口一番、佐川さんは「俺は別におまえなんかほしいとは思わん。社交辞令で来ているだけなんだ」と言い放った。
・・中略・・
こちらは血気盛んな十八歳。この野郎、と思った。・・中略・・
自分にはスカウトといえば監督、コーチの下のただの球団職員じゃないか、という意識しかなかった。
こんなおっさんに、クソミソに言われてたまるか。
「入ったるわい」。啖呵を切って、席を立った。しまったなぁ、と思ったが、あとの祭り。”
阪神に入って二年目くらいのときに佐川さんが種明かしをしてくれた。「大学進学が決まっているならどうしようもない。
でもいちかばちか、怒らせてみよう、と思ったんだ。おまえの短気な性格は知っとったから」。ベテランスカウトの手腕に、まんまとやられたのだった。(p39-41)
というプロ入り前の裏話に、
黄金期(V9期)真っ只中の讀賣ジャイアンツに対しシーズン残り2試合(名古屋、甲子園)のうち1つ勝てば優勝という状況で
” ルンルン気分で球団事務所に行くと、長田球団社長と鈴木常務が待っていた。鈴木常務は明るくていつも冗談を言っているような人だったが、
このときばかりは難しい顔をしていて、やけに部屋の空気が重かった。
何かな、と身構えていると「これは金田監督も了解していることだが、名古屋で勝ってくれるな」ときた。
一瞬、意味がわからなかった。優勝すると金がかかるとか、二人はぶつぶつ言っている。優勝したら選手の年俸も跳ね上がるだろうし、パレードの費用もかかるかもしれない。
だからと言って、優勝しなくてもいいという球団があるだろうか。監督も了解しているとは一体どういうことなんだ・・・。
話を聞いているうちに、頭も体もかーっと熱くなり、気がつけばテーブルをひっくり返して席を立っていた。”(p138-139)
という衝撃の舞台裏に・・
人間 江夏豊
全編を通して感じたのは江夏豊さんの豪快さと繊細さで、阪神タイガース放出後は幾多の球団を渡り歩くことになり、
栄光の裏側での苦悩も色濃く描写されており、その人間味溢れる生きた軌跡が、
単に球史に名を刻んだ名選手という次元ではなく、時代背景とともに一人の人間としての生きざまとして伝わってきて、読み物として染み入ってきました。
江夏豊さんの伝説を一段押し上げたかの「江夏の21球」の舞台裏(p181〜186)についても