伝説のキックボクサー藤原敏男さんが振り返った、師匠 黒崎健時先生との絆、打倒ムエタイへの尋常ならぬ舞台裏:『ドラゴン魂2』出版記念 ドラゴン魂への道~藤原敏男 トーク&撮影会イベント~ 参加記

外国人として初めてムエタイのチャンピオンを下した伝説のキックボクサー

会場は7月以来の闘道館

藤原敏男さん登壇イベントに参加。

藤原敏男さんの特集が組まれた『ドラゴン魂 2』出版記念として

開催されたもの。

(藤原敏男さんの)お名前は格闘技好きの先輩等から同じキックボクサーの沢村忠さんとともにしばし耳にしていたことと、

佐山サトルさんの口からもしばし登場していて、稀有な機会であろうと思っての参加。

間近にしたレジェンド

実際、藤原敏男さんにとって初のトークショーであったとのことで、

差し入れのワインが振る舞われながら、

伝説の藤原敏男さんからワインをお酌いただくというまさかの展開 ^o^

何ともアットホームな雰囲気で、映像に写真紹介を交え進行されていきました。

「乾杯」(=完敗)は格闘家にとって縁起が悪いと「完勝」のご発声から開演

今でこそビッグマッチに限らず、瞬く間に試合の模様が全世界的に配信されることが珍しくないものの、

藤原敏男さんが現役中は情報が限られた状況で、まだ誰もなし得なかった打倒ムエタイ(王者)を

今に例えると、進行役を務められた巨椋修さんによると「火星を人類に送り込む」ほどの偉業となるそうな。

過去の映像を振り返りながら、当時の心境を

お話しは藤原敏男さんを世界的キックボクサーに押し上げた黒崎健時先生との師弟録といった色合いが濃く、

サラリーマンは8時間働いて給料を貰えるんだから、プロは1日10時間練習しなくてはならない、

股関節の硬さを解くために20分かけて股割りをして、その後、数日、出血に見舞われることになったり、

とにかく日に日に壮絶なメニューが課され、

18歳で岩手から単身で上京した時はキック(ボクシング)をやるなんて思っていなかったというところから

人生を決定づけた黒崎健時先生との出逢い(左端は映画監督 巨椋修さん、右端は『ドラゴン魂』編集長 川保天骨さん)

「この人(黒崎健時先生)についていったらチャンピオンになれる」と信じて疑うことがなかったそうな。

写真から振り返るエピソードの数々

印象的であったのは、技術面で具体的に指示を与えるようなことはなく、ヒントを与え、考えさせることに力点が置かれていたとのこと。

藤原敏男さんご自身もパンチ力もキック力もあったわけではなかったことから、黒崎健時さんから「リズム」とのヒントを与えられ、変則フットワークに、

打倒ムエタイを果たすためにはキックボクシングの練習だけではダメだと、拓殖大学にレスリングの出稽古などに取り組むことにしたとのお話し。

試合中も(デビュー2年目には約20試合を戦ったとか!)セコンドに付くことはなく、選手の判断を尊重されていたと。

課せられた練習量は尋常でなかったものの、選手の自主性も尊重されていたことは偉業達成の大きな分岐点と感じられました。

時に身振りを交えての熱演

練習はリングに限ったことではなく、車を運転中にパトカーに、ダンプカーの車列を追い越せといった

一見、強くなることと無関係(今風に云う無茶振り)と思われることも多々あり、だた、そこには瞬時の判断力を養う狙いなど、意図はあったそうな(笑)

中には警察署での寝泊りを強いられることに発展したものもあったそうですが、

これは多分に偉業があったからこその裏話しに、今だから明かせる類のお話しですねー。

伝説とは裏腹な気さくさ

お酒の勢いもあってか、終始、和やかな雰囲気で進み、貴重な機会ということもあり、

最後、設けられた質疑応答の場では、熊殺しことウィリー・ウィリアムズの印象に、

タイ人チャンピオンを下した時のレフェリーの反応など、濃い内容にも及びました。

約2時間に及んだトークの後は、サイン&撮影会。トーク中の雰囲気を引き継いで、歴史的偉業の凄みとは裏腹に

来場者特典のポスターにサイン頂いた後に、藤原敏男さんと

気さくなお人柄で、今回の機会を逃すことなく参加出来たことに十二分な満足感を感じることが出来ました。


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