先週末に、中間記 👇 をアップロードした
百田尚樹さんの『日本国紀』を読了.-
500ページ超、読み切るのには相応のパワーを要しましたが、
期待に沿う読み応えも感じられ、(中間記を書いた後の)後半の第八章以降で特に印象に残ったところを抜粋すると・・
終戦時、
“「陛下は、次の意味のことをマッカーサー元帥に伝えられている。「敗戦に至った戦争の、いろんな責任が追求されているが、責任はすべて私にある。
文武百官は、私の任命するところだから、彼らには責任はない。私の一身はどうなろうとも構わない。私はあなたにお委ねする。
この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい』」 (『侍従長の回想』)
マッカーサーは昭和天皇の言葉に深い感銘を受ける。
「死をともなうほどの責任、私の知る限り、明らかに天皇に帰すでない責任を引き受けようとする。この勇気に満ちた態度は、私の骨の髄までも揺り動かした。
私は、目の前にいる天皇が、一人の人間としても日本で最高の紳士であると思った」と書いている。”(p419)
或いは、
” タイのククリット・プラモート元首相のジャーナリスト時代の言葉を紹介したい。
この言葉こそ、アジアにおける大東亜戦争の姿を見事に言い表している。
ちなみにタイは戦前、東南アジアで唯一の独立国だった(タイが独立を許されていたのは、植民地を奪い合う欧米列強が緩衝地帯としていたためだった)。
「日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない」(現地の新聞サイアム・ラット紙、昭和三〇年十二月八日)
日本が戦争中、東南アジアの諸国に進軍し、一時的に占領したことは事実だ。しかし日本軍が欧米列強を追い出したことによって東南アジア諸国が独立を勝ち得たこともまた事実である。”(p446-447)
日本人の生きざま、矜持が感じられる箇所が散見され、本書の重みをズシリと感じさせてくれました。
日本の危惧、そして未来
本の最後で百田尚樹さんは
” 昭和四〇年代から(昭和三〇年代からという情報もある)、北朝鮮に何百人もの日本人が拉致されてきたにもかかわらず、自力で取り返すことさえできない。
国の主権が著しく脅かされ、推定数百人の同胞が人権を奪われ、人生を台無しにされているにもかかわらず、「返してください」とい言うことしかできない。まったく国家の体をなしていないのである。
こんなことは戦前の日本では考えられない事態である。いや、幕末の志士ならこんな横暴は決して許さなかったであろう。”(p499)
と危惧を示されるも、結びで
” 今、彼らの嘘に気付き、GHQの洗脳から抜け出しつつある若い世代が増えている。
彼らは失われた日本的なものの回復に向けて、静かに、しかし確実に動き出している。
もはやその動きを止めることは誰にもできないだろう。私はそんな若者たちを見て感動している。
「敗戦」と、「GHQの政策」と、『WGIP洗脳者』と、「戦後利得者」たちによって、「日本人の精神」は、七十年にわたって踏みつぶされ、歪められ、刈り取られ、ほとんど絶滅状態に追い込まれたかのように見えたが、決して死に絶えてはいなかったのだ。
二千年の歴史を誇る日本人のDNAは、私たちの中に脈々と生き続けていたのだ。それが今、復活の時を迎えている ー。”(p304-305)
と希望を示された形で締め括られています。
日本を学び、我を問ふ
聞けば、本書の内容に関して賛否が分かれており、
そのことが、発売翌週には45万部という大ヒットにもつながっているようです。
本書を上梓された百田尚樹さんの思いは
☝️に書かれてある通り。
自分自身が、このところ日本史をはじめとする歴史に関心を持ち始めたのが、
緊迫化する隣国との関係に、学生時代に殆ど教わることのなかった近現代史に、
何より、生まれ育ち、肉親に親類に友人が住まう自分の国について知りたい思いが発展してのこと
本書は概括的に日本の二千年以上の歴史について分かりやすく記載されており、
議論が分かれるところもあり、随所に百田尚樹さんの見解も示されていますが、
同意するにせよ、否にせよ、日本史を学ぶ出発点として有用性の高い一冊であるように感じています。
当然の如く、一読しただけでは流れを捉えること、考えを巡らせることに限りはあるので、
読了に至るまで短くも長い道のりでしたが、また機会を改めて、是非また本書を手に取り理解を深めたく思っています。