昨年(2018年)11月に読了していた『日本国紀』の
『日本国紀』のメイキング(+α)本『「日本国紀」の副読本 学校が教えない日本史』を読了。
本書でページが割かれているのはサブタイトルにも掲げられている教科書の問題で、
百田尚樹さんは『日本国紀』を執筆するにあたり、
” 私は小説家ですから、今回、歴史ではあっても「物語」を書きたいと思いました。
そして通史を書くにあたって、いくつかの歴史教科書を読みました。またそれよりも詳しく書かれたものも読みました。
それらの本を読んで気付いたことは、歴史教科書は物語ではなく、歴史の年表の解説本だったということです。”(p73)
と述懐されており、内容も
” 教科書全体のページ割りや章立て、ページ構成、見出し、文書の書きぶりを見たら、どこの国の教科書かと思うようなものになっています。
個々のワードではなく、全体として「日本」という主体が消されたものになっています。”(p32)
事例の幾つかは本文(「第6章 「負の歴史」を強調する教科書」 中心に)で引用されており、
この背景には、教科書の近隣諸国条項(p42)があり、手足を縛られたかの状態とも云えるのですが、
本書に再掲されている
白村江の戦いで囚われの身となり、自ら奴隷を申し出、唐から日本に辿り着き、朝廷に唐の侵略計画を知らせた大伴部博麻の生きざま(p108〜109あたり)や
” 百田 日本の文化、あるいは日本人の考え方、当時の社会制度も含めて、この「犬のお伊勢参り」はすべてを象徴している。まさに日本でしかあり得ないなというものです。”(p147)
という「犬のお伊勢参り」など、百田尚樹さんが『日本国紀』で描こうとした
” その国に生まれたことを誇りに思う。そして自分たちの父祖に対して尊敬の念を持つ。私たちに誇りを持つ。そのような歴史教育であるべきだと思ったわけです。”(p15)
との心意気に共感した次第。
セットでの価値とダイジェスト的な読み方も
年明け早々、Twitterほかで炎上した
本書ですが、
まだ読了から1ヶ月ちょっとしか経ってないものの「(『日本国紀』の)内容を結構忘れているなぁ」と、
復習的な意味合いに、執筆の舞台裏の日々に生々しく触れた「第7章 ベストセラー作家の秘密」も興味深く
快調なペースで読了に至りました。
副読本と名付けられている通り『日本国紀』(全509ページ)とセットで読むも良し、本書は対談形式で全267ページであることからダイジェスト的な楽しみ方も出来ると思います。