放送作家に噺家にラジオのパーソナリティ等々、それぞれ遺憾無く才能を多方面で発揮されている高田文夫さんの
『東京笑芸ざんまい わたしの芸能さんぽ』を読み始めてから全24章あるうちの第11章まで読み終えたので、そこまでのおさらい。
本書は、
” 東京の大衆芸能を書きつづってきたこのシリーズ、三部作でこれが三冊目の完結篇。
『誰も書けなかった「笑芸論」』森繁久彌からビートたけしまで』『TOKYO芸能帖 1981年のビートたけし』に続く、これが噂の『東京笑芸ざんまい わたしの芸能さんぽ』である。”(p7)
と冒頭の「まくら」で紹介されている三部作の締めくくりで、二作目の『TOKYO芸能帖 1981年のビートたけし』は ↙️
2年前(2017年)に読了。本作は
サイン本を見つけたことに反応して購入。
語り継がれるべき「東京の芸」に愛をこめて
シリーズに込められた思いのほどは
” どんなことでも書き留めておこうと、このシリーズを始めた。なんの理論も理屈もないが、「東京の芸が好きだ」という、ただその一点である。”(p8)
と並々ならぬ。披露されている内容は
” 結局の話、テレビといっても、永六輔が礎を築いてからせいぜい六〇年ちょっと。
その半分の三〇年以上をBIG3が君臨しているのだ。それもこれも八〇年代に巻き起こったMANZAIブームのおかげだろう。
フジテレビのキャッチフレーズも「楽しくなければテレビじゃない」と、大見得を切った。
ここからツービート、紳助・竜介、B&B、ザ・ぼんちなどが出て、さんまはさんまだけにこの波に釣られて出てくることとなる。”(p20-21)
という芸能史があれば、
” 私はもの書きをやりながら談志に入門をし、昭和六三年(一九八八年)には「立川藤志楼」の名で真打にも昇進している。
ものを書きながら芸も真打。芸界の「二刀流大谷」である。大谷がバットにグラブで超一流なら、私はペンと扇子で超二流・・・って、ほっとけ。”(p103)
或いは
“「『らくだ』だ『芝浜』だ。若き日の『源平』だ『野ざらし』だ。そして、あの膨大な出版物。
ビデオ・CDの山。『笑点』の企画。政界進出。想い起こせば色んなことをやってきたわけですが、さて代表作をひとつ自分で選べとなったら、師匠何ですか?」
腕を組んでしばし「ウーン」と考えた後、
「毒蝮三太夫! これだ。これを命名したというのが生涯の代表作」
これにはウケたネ。”(p104)
家元こと故立川談志師匠をはじめとする交友録などが、高田文夫さんならではの軽妙なタッチによって小気味好く披露されています。
当初は全308ページに及ぶボリュームにやや圧倒され気味でしたが・・ エピソードに好奇心刺激される記述多く、ここまで快調に推移。中〜後半も楽しみです ^^