先週、中間記をアップロードした
青山繁晴参議院議員の『不安ノ解体』を先月(2019年4月)中に読了。
国と憲法
その後(中間記)、読み進めた十の章以降には・・
” 本来は、崩御に伴う大喪の礼も即位の礼も、そして改元もすべて、神道とともにある天皇陛下のご存在に発し、そして帰するのだ。
それを外国車の占領下で定められた憲法に合わせねばならない。
ほんとうは真逆だ。国を憲法に合わせるのではなく、尊い伝統に立つ国に憲法を合わせねばならない。
それはウヨク?わはは。
地球上のすべての国の、もっとも普遍的な大原則だ。右も左もない。”(p261)
と国の根幹を成す憲法の本来の在り方に、
” 拉致被害者の救出が、関係者の亡くなることによって間に合わなくなることにならないように、できるだけ早くにやれる九条改正とする。それには賛成だ。
それならわたしも「第二項の削除を主張していて早期の改憲ができるのか」という問いに晒されなければならない。
では、どうするのか。
ひとつには何より国民自身が「自分たちをさらに分断していくより、これまでの対立感情も抑えて、一致できる点を見つけていく」という新しい価値を考えてほしい。
遠回りに見えて、これがいちばん近道である。”(p362)
喫緊の課題となっていながら国会で膠着状態に陥っている憲法改正問題に、
” 宮家はもともと男系・父系による皇位継承を担保するために鎌倉時代に端緒があり、本格的には室町時代に確立された制度である。
現在の皇室典範(皇室をめぐる法律)では、皇女が天皇家から出て結婚されれば皇室を離れられる。
したがってその配偶者もお子も皇室とは関係が生じない。ところが嫡出された皇女が、新しく宮家をつくられれば、その配偶者は誰であっても仮に外国人であっても皇室の一員となり、
さらに、そのお子が天皇陛下として即位されれば、その陛下の父はもはや天皇家とは血の繋がりがなく、父の姓を冠した新しい王朝が始まる。”(p374)
今、この時期に考えないでいつ考えるといった、皇室が直面している現実に・・。
日本、の現実
本書最後は70ページ超に及び書き下ろされた「不安ノ解体ハ一日ニシテハ成ラズ」と題された大海の章で、
青山繁晴議員の直近の(読者への)問ふべき現実がさまざま指摘されています。
実に全495ページ、全十八篇に及ぶ長編で読み始める前は、厚み圧倒され気味でしたが、
一旦、読み始めると読みやすく日本の危機に、青山繁晴議員の国政報告、取り組みといったことが言及されており、
特に平成から令和に改元され、皇室中心に日本に多くの人たちが向かっている最中、多岐の分野によって考えさせられるきっかけを与えてくれる一冊であると思います。