長谷川博一さん著『三沢光晴外伝 完結編』を読了。
先月(2020年8月)読んだ
『2009年6月13日からの三沢光晴』が主として、三沢光晴選手のリング上で事故が起こってしまった日に焦点が当てられたのに対し、
本書は、全日本プロレスでエースとして君臨していた頃(ex. 1998年10月31日 小橋健太戦、小川良成選手とのタッグ結成)中心に、
文庫化にあたり、2009年6月13日のことが 、終章*月の涙 に書き加えられた経緯。
肉体の極限、超越された世界
プロレス大賞において、年間最高試合賞に輝くこと二度 三沢光晴選手 vs 小橋健太選手に関して、
当事者である小橋健太選手の
” コバちゃん、いくらなんでもあれは無理だよ、下手したら三沢死んじゃうよ。正直な感想といえば、それ。
しかしこういう時に限って、傷つける側に回ったレスラーは命の覚悟を整えた武士のように淡々とつぶやくのだろう。
「そこまでしないと、三沢さんに勝てない。俺は心を鬼にして、闘いに挑む・・・」” 難儀な芸術なのである。プロレスリングというものは。”(p22)
心境に、或いは小川良成選手の
” 「レスラーとして本当に強い。闘っている時は、特にエルボー食らってきつかった。性格的には自分に厳しい人ですね。
厳しくなかったら、あれほど悪い首の状態で試合はできないでしょう。
今年のチャンピオン・カーニバルもベイダーとの公式戦で、投げっぱなしジャーマンで首を傷めてしまった。
控室では横になってた日もあったのに、試合は必ず出ますからね。
しかも地方の試合でもどこでも全力で目いっぱいのファイトをする。」”(p110)
に、
” 衝撃を和らげようとしても、やはり頭は打つ。投げ技を食らい、三沢がマットに頭を打つ時の「ゴン!」といういびつな音を、何度聞いたことか。”(p134)
という文字から滲む壮絶の体現ぶりに、お母さまの
” 自分で絵をかくのもうまいんですよ。さらっと色つきの絵をかいてみせる。中学校のころの下敷きに、タイガーマスクの絵をかいてましたね。”(p85)
との回想から
” そして実際にタイガーマスク になった。
「自分がなるとは全然思わなかった。でも初代じゃなかったからね。二代目、二番煎じというのは、自分のような性格じゃ、ちょっとイヤですよね」」(p90)
という件(くだり)に、リング上にとどまらない多角的な切り口に読み応え得られました。
最期、、
そして
” 試合会場に響く「返せ!」の声は三沢プロレスの意思の代弁になっていた。
そうか、「返せ!」と言い続けていた三沢の最後の言葉は「止めろ・・・」だったのか。
いつもの彼なら口にするはずもない真反対の訴えが発せられ三沢光晴のレスラー人生と実人生の両方は終わりを告げていったのだ。”(p202)
との最期に、、。
『2009年6月13日からの三沢光晴』と合わせ、完全な後追いですが、偉大なレスラーの生きざま、大いに心鼓舞されました。