映画監督 押井守監督の『押井守の映像日記 ネットしたらやっていた』を読了。
週末のTwitterを徘徊中、サイン本入荷情報で本書を知り、
押井守監督について頭に入っているようないないような状態であったため
「攻殻機動隊」などキャリアをWebで辿って「買ってみよう」と手元に本書を引き寄せていた経緯。
ゆっる〜いB級映画鑑賞記
最初、映画監督の日常的なエッセイ集と思いきや
” この連載は映画批評なんぞではなく、何の資料も調べずに曖昧な記憶だけで書くことが主旨なので資料的価値も限りなくゼロに近いシロモノです。”(p17)
と紹介され、原則はB級と称される映画や短編について、鑑賞時に感じられたことが記憶を辿って記載されているというもの。
本書で取り上げられている作品の悉くを視聴していなかったことから、本文で筋を追われても・・という面は否定出来ずも、
” 世の中には、どんな無茶をしても許される監督の席というものが確実にあるものなのです。
リンチさんにとっては、映画とはこうしたものなのであって、全く疑いを抱いていないことが如実に判りますから、文句を言う筋合いじゃありませんし、私にとっては、このやりたい放題のリンチさんの不気味なドラマに、昨今の説明過剰予定調和大好き人間である若者たちがどう反応するのか、そちらの方が興味津々です。
・・中略・・
最後に、リンチ映画の正体について簡単に触れます。リンチさんの映画の本質は「人間という不気味な存在」と、その「不気味な存在である人間たちが紡ぎ出す不気味な妄想」に尽きます。”(p121-122)
という腹落ちさせられたDavid Lynch:デビッド・リンチ監督評や
” 経験則に言って、2分観てダメなら最後までダメというのはほぼテッパンの真実であり、映画に大逆転はありませんから、それでいいのです。導入の演出が不出来なようでは、そもそも短編をものにする資質はありません。”(p176)
に、
” 映画は何を措いても「フェティッシュを実現する形式」であり、ドラマや主題は二の次三の次であるに過ぎません。芸術性やエンタメという大儀に惑わされてはいけません。”(p241)
といった映画の見方といった専門性は読前の期待を叶えてくれるもので、
今度は機会を見つけて、押井守監督の世界観に映像で浸ってみたく思いました。