音楽プロデューサー/DJ tofubeatsさんの『トーフビーツの難聴日記』を読了。
サイン本抽選販売情報 ↓により
tofubeatsさんを知り、ユニークなネーミングに興味をチクッと刺激された本のタイトルに、プロフィールを検索すれば・・
といった記載にも関心を抱き、とりあえず・・
と申し込んでみたサイン本販売に当選し、入手叶っていた一冊。
一般人と境目なき日常
本を開いたところの「はじめに」
“このたびは「トーフビーツの難聴日記」を手にとってくださりありがとうございます。この日記は2018年のある秋の日、自分が突発性難聴になったことをきっかけに書かれ始めたものです。”(p4)
の一文で始まる本書は、音楽の専門性に触れた箇所は殆どなく(=特段、前提知識を要せず読める)
” 昨年ミント神戸でやらせてもらった仕事から1年も入金がない。担当者に連絡はつくもののなぜか入金を渋られており、でも社員は在籍していて会社も存続している。なんだこれ。
ということで税理士さんにもアドバイスを受け、はじめて簡易裁判所に督促の手続き。”(p129)
といったトホホな展開に、
” なぜ自分がこのような形で音楽を続けられているのか毎年謎に感じるが、かといってこのまま不景気にさらわれてしまった時自分に何ができるのかと思うと末恐ろしい気持ちに。”(p175)
といった赤裸々な感情も吐露されているなど、ごくごく日常で怒った出来事が軸となって構成されています。
周辺によるtofubeatsさん談
二〇一八年から二〇二二年にかけ年ごとに章立てされていますが、その間に「トーフビーツの欠席裁判」とtofubeatsさんと親交のある四名の方が文を寄せられており、
” さすがに自分の耳を疑った。キャリア最大規模の自主企画を終え、疲れているのは分かる。それでも乾杯くらいは参加するだろうと思い込んでいた自分の甘さを思い知った。
彼には、仕事とプライベートを鬼の様にドライに切り分け、社会(社交)性を著しく欠く瞬間がたまにある。”(p268/杉生健さん)
といった(本人以外の)外側から言及も興味深く、
本来、作品への評価から本(書)へといった流れが自然なのでしょうが、逆流ながら一つまたアーティストにフラグが立つ機会を得られた読書機会となりました。