爆笑問題 太田光さんが綴った世間への違和感もろもろ:『芸人人語 コロナ禍・ウクライナ・選挙特番大ひんしゅく編』読了

先週末、読み始め記 ↓

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をアップロードしていた爆笑問題 太田光さんの『芸人人語 コロナ禍・ウクライナ・選挙特番大ひんしゅく編』を読了。

コロナ禍、世を騒がせたことを端緒として・・

中、後半に書かれていたのは

” 例えば我々の同期、BOOMERのように普段から笑いが取れない連中はそれでいいが、私のようにウケてしまう場合は複雑だ。

「これで良かったのか?」などと不安になる。

・・・何ていうのはまっ赤な嘘で、ウケた時はやっぱり気持ちいい。ウケなきゃ落ち込む。こんな時期に危険な思いまでして来てくれたお客さんに申し訳ないと思う。”(p120)

というコロナ禍における表現者としての試行錯誤に、

” 笑いとは人の失敗を笑うことが基本だからだ。人間が未熟だから笑う。人との違いを笑う。その構造の中で笑われる側にいる人は、傷つくことになる。しかし心の持ちようによっては救われることになる。

人が失敗を繰り返す笑いを見て、「未熟なのは自分だけじゃないんだ」と思える瞬間もあるからだ。悲劇と喜劇は別のものじゃない。”(p167)

本書で散見される笑いの本質について、或いは

” 問題になったコントがなぜ生まれ、あの台詞がどういう意図で入り、なぜお客さんがあれを受け入れ、笑っているのかを説明するのはとても複雑で難しい。

組織委員会の人間にそれが出来るとは思えない。もちろん仮に説明出来たとしても、だから理解しろ、と押し付けようというわけではない。それでも駄目なものは駄目で当然だ。

ただ、少なくとも人権団体の人々に対して「意図を説明する努力をする」のが小林氏を任命した組織委員会の、小林氏に対する、また、あの表現で傷ついたユダヤの人々に対する責任でもあると私は思う。

組織委員会はその為の努力をしていない。お笑いについてはよくわからない、というのなら、「説明出来る人」を探し事情を聞くべきだ。”(p183)

と世の中で起きたことに対して、或いはそれをきっかけとした考察等。

購入本に書かれていたサイン

絶えざる模索、進化

各回15ページ程度に及ぶ長さで冗長と感じられる時もあれども、「月間でこれだけの連載を継続しているのは凄いなぁ〜」と感心。

長くバラエティ番組の顔、お笑い界を牽引する立場との印象を抱いていて、自信、自負といったこととは裏腹に

表現者としてあれで良かったのか、こうすべきだったのではといった試行錯誤を繰り返され、接点なり、着地点を模索されている姿勢は読後強く思わされました。

これからも炎上を厭わぬ攻めた姿勢は貫かれるものと、本シリーズの第3弾が出版された暁にはネットニュース等で打電されたことの裏側、本音に触れることが出来るものと興味あるところです。


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