二週間前に中間記↓をアップロードしていた
小説家 京極夏彦さんの『了巷説百物語』を読了。
その(中間記)後、読み進めたのは
辰巳乃章 葛乃葉 或いは福神ながし
寅卯乃章 手洗鬼
子丑乃章 野宿火
空亡乃章 百物語
の四章。締めの「空亡乃章 百物語 」は、
” あの、狂騒の一夜から七年の歳月が経っている。”(p1,133)
という後日談で、話しの中心は「子丑乃章 野宿火」迄。読み始めが10月下旬で、ほぼ最終頁に至るまで約1ヶ月のロングラン。
本書単体でも1,149ページに及びシリーズ全体では『巷説百物語』(2003年6月発売)に始まる7冊に及ぶ大作で通読された方によると・・
オールスター勢揃いという感慨に、登場人物各々への思い入れといった事が記載されており、中途から入り込んだ立場としてはそのような惹き込まれ方には至れませんでしたが、
” あの者達は、暮らしそのものに息の根を止められるのだ。
この改革は。
何を切り捨てようとしているのか。
裏の入り口から入ることを諦めた藤兵衛は、大回りして表通りに戻り、正面に立った。こちら側には何ごともない。平穏無事な暮らしがあるだけだ。”(p694)
といった江戸(時代)に生きた人たちの息遣いに、
” 「良いかの。人というものはの、誰しもが生まれ乍らに幾許かの徳を持っておるものでの。だが、誰もがその徳に見合った富を得られるとは限らん。だから、徳に見合った暮らしが得られるならば、それこそが福なのであろうよ。量の問題ではないわ。見合っているかどうかが肝心なのだ」”(p834)
というような(時代が限定されぬ)人に迫った言い回しといったところに日常からの切り離しを感じられ、読み進めていく楽しみを得られたように思います。