エドワード・スノーデンが日本人に突きつけた現実と警告:『スノーデン 日本への警告』中間記

先日トークセッションに参加して、

<<2017年4月30日投稿:画像は記事にリンク >> エドワード・スノーデンが日本に示した「警告」の重みを青木理さん、山田健太先生登壇のトークセッションで感じてきた:『スノーデン 日本への警告』刊行記念トークセッション参加記

その際、対象書籍として購入した『スノーデン 日本への警告』を

読み始めてから折り返しに差し掛かったので、その部分のまとめ。

スノーデンが発した警告

本は、

第一章 スノーデン  日本への警告、

第二章  信教の自由・プライバシーと監視社会

の二章立てで、

読み終えたのは本書の主人公とでもいうべきEdward Snowden:エドワード・スノーデンが

2016年6月4日に開催されインターネット中継で参加した「監視社会の”今”を考える」で語ったインタヴューパートが収録されたもの。

そこで語られた断片は・・

” 今、日本のプレスは脅威にさらされています。その態様はピストルを突き付けられたり、ドアを蹴られたり、ハードドライブを壊されたりという形の恐怖ではありません。

日本における恐怖は、静かなる圧力、企業による圧力、インセンティブによる圧力、あるいは取材源へのアクセスの圧力です。

テレビ朝日、TBS、NHKといったような大きなメディアは、何年にもわたって視聴率の高い番組のニュースキャスターを務めた方を、政府の意に沿わない論調であるという理由で降板させました。”(p53)

と我々が薄々感じている目の当たりさせられたことであったり、

” NSAは、イスラムが性的に保守的な宗教であることを利用して、宗教的な人物の性癖を暴いて拡散すれば支援者の彼らへの信用を失墜させることができると考えて、性的な活動についてモニタリングを行っていました。

私たちは、このような監視能力がSFの世界ではなく現実のものであることを認識した上で、これに立ち向かわなければなりません。

政府は、たとえばグーグルの検索ボックスに打ち込んだ内容をすべてモニタリングできる状況にあるのです。”(p58)

と、検索エンジンに関しては日常的な行為の裏側で起こり得ることであったり。

また、本の主題でもあるプライバシーに関して

” プライバシーとは、悪いことを隠すということではありません。プライバシーとは力です。プライバシーとはあなた自身のことです。

プライバシーは自分であるための権利です。他人に害を与えない限り自分らしく生きることのできる権利です。

思索する時、文章を書く時、物語を想像する時に、他人の判断や偏見から自らを守る権利です。

自分とは誰で、どのような人間になりたいのか、このことを誰に伝えるのかを決めることのできる権利です。

訪れるところ、関心や趣味、読んだ本の題名は、あなたが共有したいと思わない限り、ほかの人が知ることはできません。どこで線引きするかはあなた次第です。”(p67)

と定義。スノーデンが警告を発し、我々が失っている現実が示されたものと言い換えられます。

スノーデンが「日本」にフォーカスした重み

先ごろ公開された映画↓では、

<< 2017年2月1日投稿;画像は記事にリンク >> オリバー・ストーン監督が描いたエドワード・スノーデンの半生と苦悩:映画『スノーデン』鑑賞記

エドワード・スノーデンのメッセージが、世界的に向けられていましたが、

本書は日本で開催された日本人の参加者に向けられた内容となっており、

言葉に乗せられて伝わってくる現実感も、より重みを伴ってきます。

本の後段はエドワード・スノーデンのインタヴューを受けてのジャーナリスト青木理さん等によるパネルディスカッション。

エドワード・スノーデンが示したアングルとは異なった「日本」が示されているものと思い、読了時、改めて内容を整理したいと思います

 


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