アントニオ猪木さんの『アントニオ猪木 世界闘魂秘録』を読了。
本書は、
第1章 ブラジルで育まれた驚異の体力と直感力
第2章 力道山没後の単身アメリカ武者修行
第3章 未知なる強豪との遭遇 パキスタン・ヨーロッパ・アフリあ
第4章 平和のための熱い闘い ロシア・キューバ・イラク・北朝鮮
終章 馬鹿になれ、恥をかけ 〜 すべての日本人へ
という章立てのもと、先月(2020年11月)読んだ時期を同じくして刊行された
『猪木力 不滅の闘魂』と同じく、自伝的内容ではあるもののタイトルに沿って
1970年代のヨーロッパ遠征の
” 俺の試合を宣伝するポスターもかなり仰々しいもので、「KILLER INOKI(殺し屋猪木)」の大見出しが踊り、「東洋の空手家」のような紹介がされていた。”(p119)
や
” アリ戦から半年がたとうとしている頃だった。パキスタン政府から「モハメド・アリと闘ったアントニオ猪木を招聘し、格闘技の興行を開催したい」という連絡が入った。”(p96)
と、個々の戦いやその舞台裏に焦点が当てられた記述が多い印象。
アントニオ猪木の真髄
そのような中、
” 「プロレスとは何か。それは肉体と精神の鍛錬を重ねた人間同士が闘いを通じて観客を酔わせ、感動させるスポーツである。」”(p162)
或いは、アントニオ猪木さんの代名詞と言うべき
” 「闘魂」の二文字は晩年のオヤジが好んで使った言葉で、付き人だった俺はオヤジが頻繁に色紙に書くのを見ていた。
そして俺は、その言葉をオヤジが残してくれた財産として、ずっと大切にしてきたのだ。”(p234)*オヤジ=力道山
闘魂に込められた想いなど、根源的な内容も印象に刻まれます。
「モハメド・アリと闘った男」の称号
本を通じての印象は、
” 1976年6月26日、モハメド・アリとの世紀の一戦が終わったあとに、俺を待っていたのは途方もない挫折感だった。
義父が買ってきてくれた翌日の新聞を見ると、酷評しかない。「看板倒れ」「世紀の茶番」「ファンどっちらけ」といった見出しが踊っており、とてもじゃないが、中身を読もうという気にならなかった。”(p94)
と、闘い直後は酷評されたモハメド・アリ戦が契機となり、(上述の)パキスタンからの招聘であったり、
「モハメド・アリと闘った男」として世界的な知名度を得ることになり、国会議員生活時代も活きたことが記されており、大いなるターニングポイントにして、
アントニオ猪木の格闘家としての地位を決定づけたことがよく分かりました。