アントニオ猪木さんが、生前最期に出版された『生きるために闘う』を読み始めて、全40選手紹介されているうち22選手分を読み終えたので、そこまでのおさらい。
2022年10月、公にされていた闘病生活の末に訃報が知らされ、書店に並べられていたのを幾度となく目撃しており、「読んでみよう」との思いに至り、入手していた経緯。
本書は
第1章 強さを求めた男たち
第2章 若さをぶつけた男たち
第3章 ゴールデンタイムの使者たち
第4章 異種格闘技戦の猛者たち
第5章 他団体からの使者たち
第6章 新日本の愛すべき男たち
と章立てされ、既述の通り計40選手紹介されているもの。
激闘の相手から伝わる歴史
本編に入る前の「はじめに」で、アントニオ猪木さんは
” 人生の晩年を迎えた今、ライバルとの激闘を振り返る意味があるかもしれない。”(p5)
と本書出版の経緯について触れ、本編では
” 1972年10月、カール・ゴッチと俺の再戦の舞台でレフェリーを務めたテーズは「これこそプロレスの極みだ」と思ったらしい。居ても立ってもいられなくなり、ついにカムバックを決意したのである。”(p18)
と
” 俺には影響を受けたプロレスラーが3人いる。オヤジ(力道山)とカール・ゴッチ、そしてルー・テーズだ。”(p15)
と影響を受けたうちの1人、引退していた鉄人ルー・テーズを現役に引き戻していたキャリアに、
” 俺はドリー・ファンク・ジュニアという同じ相手と闘うことで、馬場さんのプロレスとの違いを見せつけることが出来たと思っている。俺が見せたのは「ケガを恐れない過激なプロレス」「正真正銘のストロングスタイル」だった。”(p52)
と日本のプロレス界をともに背負ったジャイアント馬場さんと共通する相手との戦いから誇示したライバル心に、
” 当時、27歳。でくの坊ではあったが、俺は可能性を感じた。魅力は、あのパワーだ。オヤジ(力道山)の時代から、「パワーはテクニックに勝る」とはよくいわれたことで、ハンセンがそのパワーを存分に表現できるようになれば、間違いなく観客に受けると思った。
ハンセンに一番足りなかったのは攻撃の流れだ。具体的にいえば、タイミングとテンポ。これさえ掴めば、トップレスラーへの扉も開ける。ウエスタンラリアットという技もハンセン以外に使い手がいなかったから、非常に新鮮だった。”(p126)
とスタン・ハンセンの資質を見抜き、見込み通りトップレスラーへ導いた視点に、戦いの振り返りにとどまらぬプロレスラーを通じた(主として)昭和のプロレス史といった内容で、亡くなられた直後でもあり、感情移入しながらの読み進めとなっています。
残り、まずモハメド・アリに始まり19選手。長州力さん、藤波辰爾選手といったアントニオ猪木さんと浅からぬ方々の名前も目立ち、果たしてどのような思いが留めれているのか注目しながらの中、後半です。