先週末に中間記 ↓
をアップロードしたアントニオ猪木さんの『生きるために闘う』を読了。
世紀の一戦から盟友へ
その(中間記)後、読み進めた中でページ数が割かれていたのは、やはり
” 「誰か、東洋人で俺に挑戦するヤツはいないか。ボクサーでもレスラーでも空手家でもかまわない」
スポーツ紙に載った、アリのこのひと言が俺に火をつけた。
「よし、やってやろうじゃねぇか」
アリにすれば、まさか俺のように、その言葉を本気にするヤツが現れるとは思っていなかったに違いない。”(p176)
というモハメド・アリ。愛弟子 藤原喜明選手の章でも
” 藤原を初めてスパーリング・パートナーに抜擢したのは、アリ戦の前だった。ところが、後楽園ホールで行われた公開スパーリングで思わぬことが起きた。
俺が延髄斬りを決めると、藤原が思い切り派手にぶっ倒れたのだ。藤原としては、アントニオ猪木がいかに強いかを見せたかったらしい。
しかし、これを目撃したアリ陣営が慌てふためいた。おかげで、ドロップキックを含め、ジャンプしての蹴りは、すべて禁止になってしまった(笑)。”(p275-276)
なる後日談が載せられ、モハメド・アリとは長く友情を築いていく中で、二人の会話の中で(モハメド・アリが)
“「あんなに怖い思いをした試合はなかったよ」
同感だった。互いに自分が寄って立つ世界を背負い、ギリギリの闘いをしたのだ。その恐怖感は闘った者でなければ分からない。”(p185)
と述べ、思いを共有していた点は読み手にズシっとした重み伴うパートでした。
他、一名挙げたいのは
” スタン・ハンセンやハルク・ホーガンといった外国人レスラーにしても、俺は連中のパワー殺法を受け続けることで、その強さを観客に見せなければならなかった。みんな、俺と闘うことで成長していった。
そんなことを一切考えず、純粋にプロレスに没頭できる相手がマサだった。お互い、技を仕掛けながら、次の展開を読み、それが外れても体は自然に動いた。
「巌流島の決戦」なんて馬鹿げた試合も、マサでなければ成立しなかっただろう。”(p254)
と振り返られているマサ斎藤さん。マサ斎藤さん側でも
” 後年、マサから、こんな言葉を聞いた。
「猪木、あの試合は俺の人生の最大の財産だよ。やってよかったと、心の底から思っている」
俺より先に逝ってしまったマサだが、葬儀の棺には巌流島の闘いの写真が納められた。生前のマサが、それを望んだからである。”(p260)
同様の感情を抱いていたことが分かり、二人に焦点を当てた構図で考えたことなかったですが、本書を読んで双方向な絆を理解し、発見となった部分でした。
壮大なる闘いの歴史
本書は、週刊大衆での連載「アントニオ猪木『今明かす!』炎の闘魂プロレス30番勝負」に加筆・修正が加えられ出版に至ったもの。
巻末の「おわりに」が記された2022年6月末日に
” それでも、俺は生きている。今日、生きているということは、神様が今の俺に何かの役目を果たせと言っているのだろう。”(p300)
と記された点、最後の最後までアントニオ猪木として出来ることに向き合った思いが伝わってきたのと同時に、「もう新しくアントニオ猪木さんの本を読めることはないのかぁ、、」という思いにはやはり残念無念の思いを。