青山繁晴さんが一冊の本を通じて問うた、日本人としての矜持:『ぼくらの真実』読了

エネルギー問題や外交を専門とされ、夏から活躍の場を国政(参議院議員)に移された青山繁晴さんの著書『ぼくらの真実』を読了.-

2014年12月初版で、青山繁晴さんの代表作に入ると思われる『ぼくらの祖国』を引き合いに出され・・

” この書は、「ぼくらの祖国」という書の続編として書き始め、そして続編というより正編だと思い定めました。”(p215)

という経緯があり、

” ぼくがこの書でみんなと一緒に考えたい “(p35)

という思いから

” 拉致からこれらすべての海の事件まで、日本国民の人生や命が奪われ続けて、ただの一度も日本は反撃したことがありません。”(p41/「海の事件」に関して本書に記述有り)

” 平和を実現できないことがとっくに、胸の張り裂けるような犠牲によって実証されている憲法を、なぜ平和憲法と呼び続けるのか。

・・中略・・

もう一度、ありのままに申しましょう。世界平和を目指した憲法を作ったのではなくて、仮に日本だけを徹底的に武装解除するための憲法を作っただけです。”(p75/p79)

といった問題提起に、

封印された「民のかまど」から紐解く本質

” 敗戦後の学校教育は、現代史を教えることを避けていると、よく指摘されますが、実は古代史などにも重大な欠落が生じているのです。

さて、「民のかまど」です。

かまどとは竈、今で言えばコンロですね。古代ですから食事をつくるときに木や渇かした人糞などを燃やして火を使います。だから夕食時には竈から煙が上がるはずです。

ところが仁德天皇が、難波高津宮(いまの大阪市内)という都の宮殿から庶民の町並みをご覧になると、夕食時にもその煙が上がらない。

そこで「税が重すぎて、食事がろくにつくれないのだ」と気づかれ、税を取ることを中止された。

そのために、御自らの食事が粗末になり、宮殿の屋根の茅を葺き替えることもなさらずに雨漏りがするようになり、皇后陛下が仁徳天皇に困窮を訴えられるまでになった。

それでも仁德天皇は税を徴収されず、やがてやっと、民の竈から煙が再びいつも上がるようになるのをご覧になって初めて、税を元に戻され、御自らの食事も屋根の葺き替えも、次第に元通りにされた。

これが「民のかまど」です。”(p147-148)

こういったことは昔のことに限定されず、例えば東日本大震災時(2011年)の際にも

” ぼくは政治記者として昭和天皇の吐血から崩御に至るまでを徹底的に取材しましたから、宮内庁にも信頼関係のある人が何人か居ます。

その人々から聞いたのは「陛下におかれては、お膝の痛みを持っていらっしゃるのに、そんなことはまったくお顔にも出されずに、痛いをお膝を曲げられて、皇后陛下とご一緒に被災者ひとりひとりに屈まれましたよ」ということでした。

両陛下は、ご自分のお体の痛みよりも、あなたが大事です。民こそが大事ですということを身をもって示されました。”(p138)

『葉隠』に象徴される日本文化

これらの例示から青山繁晴さんが言わんとされようとしていることは、日本文化の真実を示す象徴的な書物として「葉隠」を上げられ、

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 *「葉隠」は江戸時代中期、西暦で言えば一七一六年ごろに武士の著した一冊の書です。

佐賀鍋島藩の藩士だった山本常朝さんは主君の鍋島光茂公が病死したために引退し、寂しい場所に庵をつくって隠棲しました。そこに後輩の若手武士が訪ねてきます。田代陣基さんです。

この田代さんに聞かれるまま、山本常朝さんが武士の生き方について語り、それを田代さんが書き取って一冊の書にしたのが、「葉隠」です。(p172の記載を抜粋)

〜 〜 〜 〜 〜 〜 〜

“「葉隠」全巻を通じても最も有名なひとことがあります。

武士道といふは死ぬことと見付けたり。

・・中略・・

山本常朝さんは「死ね」と言っているのではないからです。そこで初めて人生が愉しくなる。生きろ。

そう言っているのです。

・・中略・・

もしも自分のことだけを考えて生きるのなら、人生はもっと空しい。

保身を図り、たとえば出世もして、うまくやっても最期はひとりで死ぬだけである。

しかし誰かのために、誰でもいい、恋する人でも、友だちでも自分ではない人のために死ぬことのできる人生を生きるのなら、初めて人生は空しいものではなくなる。

生きよ、若きも老いも生きよ、ただ人のために生きよ。”(p174-175)

と本の各所で、青山繁晴さんのフィールドから導かれた日本の史実をもとに

読者一人ひとりに、人としての在りよう、ひいては日本人としての矜持を問うている一冊と受け止めました。

青山繁晴さんから投じられた問い

私のように青山繁晴さんが投げたボールを受け止めるも良し、

或いは独自の見解を見出すことも青山繁晴さんは本書の中で是認されているわけで、

年末年始を迎えるこの時期、考えを巡らすには多くの方にとって格好の時期と推量され、

引用箇所に刺激なり、痛みを感じられた方にオススメ出来る一冊です。

 


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