青山繁晴参議院議員の『ぼくらの死生観 ー 英霊の渇く島を問う』を読了。
かつて出版された『死ぬ理由、生きる理由 ー 英霊の渇く島に問う』が新書化され、
そこに書き下ろしの原稿(「この書が新書として再生する朝は、こころの晴れ間です」)が約120枚が加えられたもの。
本書が書き上げられた発端は、大型客船にっぽん丸を運航している商船三井から
” いつか、にっぽん丸の小笠原クルーズの行き先に硫黄島を加えて、ぼくの話を乗客に聴いてもらいたいという願いを、
この智子さん(註:商船三井社員)が深められて、粘り強く上司らとの話し合いや商船三井客船へのプレゼンテーションを重ねてきたうえでのオファーだったのでした。”(p22)
青山繁晴参議院議員(当時、株式会社独立総合研究所社長)の下にオファーが舞い込み、
主に、硫黄島に関する船上での講演『硫黄島を考える講演会付きのクルーズ』の模様が文字起こしされたもの。
硫黄島の真実
硫黄島(いおうとう)とは、
” 日本はそれまでの2千年をはるかに超える永い歴史で初めて、国土の一部を外国に占領されました。”(p16-17)
という日本史においての位置付けを担い、そこでは
” 2万1千人の日本国民が戦って2万人が殺されました。今ではみな、「日本兵」と呼ばれていますが、実際は戦争の末期ですから職業軍人はおよそ千人しかいなくて、
2万人は、ぼくらと同じくサラリーマンであったり、役場の職員、学校の先生、雑貨屋さんであったり、つまり働く普通の庶民が戦って、ほぼ全員が殺されました。
こうした「玉砕」の島は、アジアに幾つもあります。しかしすべて外国です。ただ硫黄島だけが日本の島です。
だから外国と交渉しなくても、すべてのご遺骨に問題なく故郷へ帰っていただくことができるのに、それをろくに実行しないまま、
70年近くが過ぎて、いまだに半分以上、1万と1千人以上の方々が、硫黄島に取り残されています。”(p17)
” およそ2万人がそこで殺されましたが、いまだ1万数千人の方々が、この船も近くまで行く硫黄島に、たった今も取り残されたままです。”(p50)
というこれまでの経緯に対して、
当時、青山繁晴社長が、硫黄島に足を踏み入れ、硫黄島を体感され、史実や硫黄島での戦闘を経験された方への取材を通じて得られものが、本書に記され、読者に問われています。
問われる日本人としての生きざま
読み手として突き刺さってくるのは、
” わたしたちは、あの戦争に負けはしたけれども、敵だったアメリカこそが尊敬しているように、
「わたくしを捨てて人のために生きる」という日本人の生き方が現れたのも、また沖縄戦ではないでしょうか。”(p265)
や東日本大震災で命を賭して職務を遂行された遠藤未希さん、三浦毅さんの、
” 日本人はいざとなったら、自分のことよりも人のこと、みんなのために命までかけるんだよ。”(p278)
と日本人の生きざまが示された(問われた)部分。
当初は、400ページに迫るボリューム(387ページ)から、こちらで取り上げるのも、
「2回に分けて」といったイメージを持っていましたが、
いざ読み始めると、読みやすく、引き込まれていく内容で、思いのほか、ペース良く読了に至りました。
なお、書き下ろしでは遺骨を取り戻すべく取り組みの進捗などが記されいます。
硫黄島での戦いに関して、学校で教えられることは殆どなく、私のように本書を含め青山繁晴議員の著書を通じて知ることになった人たちが多いものと推量しますが、
重たい現実を突きつけられ、「日本人」であることを大いに考えさせられる一冊で、願わくは多くの人が本書を手に取り、青山繁晴議員が発した問いかけに対して考えるきっかけを得て欲しいと感じました。