『その通りになる王道日本、覇道中国、火道米国』を読了。
(中間記から)読み進めた
第3部 国境崩壊
第4部 連帯
第5部 ザ・ゲンバ
終の節
には、
” このつたない書では、わたしたちの祖国が再生の王道をゆくには、国境の問題から逃げないことがまず大切ではないかという問題提起から、出発した。”(pp378)
との前提から
” 海上自衛隊の対馬防衛隊の本部を、写真のホテルを含め、三か所の韓国資本の宿泊施設が取り囲んでいる。”(p386)
或いは
” 北京オリンピックが開かれるまえの二〇〇八年三月、チベットの僧侶や市民が立ちあがり、世界のひとびとが広く共鳴して、中国が国威発揚のために世界の各地で演出した聖火リレーが強い反対の声に囲まれた。
その聖火リレーがやってきた長野は、中国人たちの振りかざす赤い中国国旗(五星紅旗)で埋め尽くされ、暴行を受ける日本の市民までいて、もはや日本がどこの国か分からない異様なありさまとなった。”(p233)
といったこれまでの経過に、
” 日本がいまだ憲法九条に縛られ何もできない敗戦国に安住していることにつけ込んでのことだ。
いや、ほんとうはその程度の話ではない。
憲法九条が一字一句変わらないように、政官財とオールドメディアとインターネット空間に中国は巨額のチャイニーズ・マネーを投じて食い込みに食い込んでいる。”(p427)
という現在進行形に、、
或いは
“「今日は、ここからいちばん、肝心なところです。みなさん、実はチベット問題は、何よりもまず宗教の自由の問題です。
日本もチベットも、仏さまのいらっしゃる国ですね。日本の仏教界から、これだけたくさん日本のお坊さんから、なぜ声が挙がらないのかということについて、とうとう日本の仏教界で初めて、そして日本のマスコミで初めて、お坊さんに来ていただきました」と紹介した。”(p341)
というチベットの状況に意を決した書寫山圓教寺の執事長と執事の番組出演(「ぷったま!」)時の行動を起こした人たちのドキュメントであったり。
問われた、読者それぞれの選択
それぞれ濃厚に綴られていますが、読みどころとしては本書のタイトルに込められた
“王道とは、最終的には国家にあるのじゃない。わたしたちの、ひとりひとりにある。なぜなら国家の独立とは、まず国民ひとりひとりの独立があって、打ち立てられるからです。”(p418)
に、
” 覇道と火道が衝突する世界とは、人類がこれまで生きたことのない、見たことのないカオスの世界である。
日本はこれまでの繰り返しを食い止め、王道の道のりを築かねばならない。それにはどうするのか。
国より先に、わたしたちのひとりひとりがどの道を歩くのかを決めることだ。”(p435)
と読者へ向けた、読者を問うた部分が、強く読み手として胸に響いてきました。
報道され広く知らしめられることに、報じられないことに、多勢が気づかぬうちに既成事実化されてしまっている現実に・・
忘れかかっていたことを今一度、脳裏に刻まれた今回の読書でしたが、書寫山圓教寺の方々が好例として、でき得ることに考えを及ばされることに、また、自身の解を導き出す上で、刺激を与えられる著書です。