このところ著作に、講演会と私的に熱い、独立総合研究所創設者で参議院議員の青山繁晴さんの『ぼくらの祖国』を読了。
先日、読了記を上げた『ぼくらの真実』↓とは
” 日本の普遍を追求していくために、「ぼくらの祖国」は次の書の「ぼくらの真実」に繋がっていきました。”(p279)
という関係性。
『ぼくらの祖国』は、数ある青山繁晴さんの著作の中でも
” サインをいちばん多く求められる書 “(p267)
なる読者へのインパクトが最も強い作品のようで、上梓の経緯は
” この書を書く最初のきっかけは、・・中略・・ 若いお母さんの「子供に読ませる本、祖国を教える本がない」という訴えでした。”(p255)
であったり、
” 同胞、そして海外のひとびとにも伝えるべきを伝える(英訳版も世に問います)”(p267)
というもの。
硫黄島の知られざる史実
全編で259ぺージに及ぶ内容は衝撃的で重量感を伴い、例えば一章を割かれた
第二次世界大戦の中で最も知られる戦いの舞台となった硫黄島(いおうとう)に関して
” きょう、たった今も、自衛隊、海上保安庁、そして在日米軍が使っている滑走路の正体は、一九四五年三月、硫黄島の戦いの真っ最中に、
地下壕からも地上からも日本兵の亡骸を収容することなく、弔うことなく、その顔の上に、胸、腹、足の上に直接、アメリカ軍がコンクリートを流し込んで造った滑走路だ。
・・中略・・
一九六八年に、硫黄島が真っ先に日本に戻された。沖縄返還の四年前である。
戻ったとき直ちに、この滑走路を引き剥がして遺骨をまず収集して故郷に帰っていただく、それが世界の常識だ。
・・中略・・
話すのは辛い、つらいけれども、滑走路を引き剥がさないだけでもおかしいのに、あろうことか、一部だけ剥がした。
・・中略・・
遺骨は滑走路の下だけではない。草の下、岩の下、地下壕の奥、島の全体にある。
そのうち滑走路については西端の一部だけ、およそ二割程度を剥がして、大部分は、海上自衛隊や海上保安庁がそのまま使い続けた。”(p155-156)
本では青山繁晴さんが、(当時)防衛庁に複数回に乗り込んで掛け合い、困難を排して、
硫黄島の(自由に動き回れる)上陸許可を得て、島を訪れた際のエピソードが分量を割いて記述されており、本書のハイライトと感じました。
なお、東日本大震災後の福島第一原発についても、現地、内部に入り込んでの模様がレポートされています。
メタン・ハイドレートを巡る不都合な真実
他で、強く印象的であったのは青山繁晴さんと配偶者である青山千春博士のご専門であるエネルギー問題、メタン・ハイドレートに関連した(手にとる希望の)章。
” 太平洋側にもメタン・ハイドレートは確実に賦存する。しかし砂とメタン・ハイドレートが分子レベルで混ざり合い、結合している。
そのために政府主導のコンソーシアムが十年掛けても、なかなかメタン・ハイドレートの実物が確認できなかった。
そのために、大きな塊でごろごろと見つかった日本海側のメタン・ハイドレートが「なきもの」にされてきた。
これが恐るべき日本の現実のひとつである。”(p235)
その現実の背景に横たわる事情というのが・・
” 大手石油会社の社長はぼくに「青山さん、日本は戦争に負けたんだ。勝ったアメリカの言う通りに、資源は海外から買う。
それで世界秩序も、われわれ日本の経済もうまく廻っている。
日本海のメタン・ハイドレートは実用性が高いからこそ、それを覆す怖れがある。だから我が社もできないと、・・以下省略・・」”(p243-244)
本書も青山繁晴さんのご専門に、実際に足を使って得た情報が盛り込まれ(或いは一連の統合)され、
多くの人に明かされることがなかった現実に、光が当てられています。
読者に突きつけられた重み
メタン・ハイドレートに関しては講演会↓の際に
青山繁晴さんが参議院議員になって間もなく在るべき方向に進み出したとのお話しがあり、
ビフォーアフターがありますが、中盤に書いた(自分が感じた)重量感の正体は
青山繁晴さんが読者一人ひとりに突きつけた真実の重みに、さまざま考えさせられ始めたことで、更に続きを求めている自分自身を実感しています。