先日「読み始め」ということで本序盤の模様をまとめた
『日本ラグビーの歴史を変えた桜の戦士たち』が折り返し地点を越えたので
今回、第二弾.-
新たに13選手分(計31選手中22選手)を読んで、やはり南アフリカ戦に関する言及が目立つところ
何名かの選手は、エディー・ジョーンズHC(ヘッドコーチ)が課した練習に関して言及しており、印象的なパートであったので、今回はその部分を中心に。
君が代を口ずさむ家族の姿に覚えた感動
まず、ロックのアイブス ジャスティン選手。
” エディー・ジョーンズヘッドコーチは、本当に厳しかった。終わりのない苦しい時間が続いて、逃げ出したくなる時もあった。
僕らは互いに助け合い、励まし合い、支え合った。それが一体感になった。”(p107)
” とにかく、オフがない。めちゃくちゃ大変な練習をした翌朝も5時半からトレーニングが始まるんだ。きつすぎて、ソックスを上げるのも一苦労だった。
練習とミーティングの繰り返しで、スイッチオフできる時間がない。気持ちを持続させるのは大変だった。”(p110)
ジャスティン選手は、ニュージランド生まれで、来日後、パナソニックに3年間在籍して要件を満たし、日本代表デビュー。
但し、母国(ニュージーランド)開催の2011年ワールドカップ直前で大けがで出場を逃し、
今回( 2015年大会)も大会前の世界選抜戦(8月)で負傷し、南アフリカ戦は欠場するも、遂に2戦目のスコットランド戦で先発出場。
感動のシーンは翌サモア戦の試合前・・
” サモア戦で国歌斉唱の時、スタンドに家族の姿が見えたんだ。7歳の娘のアディと、6歳の息子のネイトが、国歌を口ずさんでいた。
あの姿を見た時は、感動で胸がいっぱいになった。涙があふれてくるのを抑えることができなかった。”(p111)
当初の母国代表オールブラックス入りを断念し、
” NZ人は子どもの頃からオールブラックスを夢見る。両親がラグビー好きだった僕はなおさらだった。”(p108)
日本代表のために粉骨砕身し、幾多の苦難を経て、晴れ舞台で視界に飛び込んできた家族の姿。読了に至ってないものの、本書のハイライトであるような。
1つとして妥協は許されなかった緊張感
話題を「練習」に戻すと、ジャスティン選手と同じくロックの伊藤鐘史選手は・・
” 練習の内容においても、一回のトレーニング自体は1時間以内で終わるものが多かったが、激しく、質が高いものだった。
選手が疲労などの影響で練習に対する姿勢が悪くなった時は激怒され、練習が打ち切られたこともあるほど一回一回の練習に対して敏感だった。”(p120)
スタンドオフの小野晃征選手は、
” ラグビーの試合では、リアクション(反応)が大事になる。プレッシャーは相手や審判、観客によってかかるものだけど、
僕らは試合中にエディーというプレッシャーから解放されてプレーできた。それで、随分楽になった。
ラグビーで選手の状況は二つに分かれる。プレッシャーを感じるか、与えるか。
エディーは練習から常にプレッシャーをかけてきた。僕らに安心して練習させない。
試合に近い環境は誰でも作れるけど、そうやってプレッシャーをかけ続けて、試合以上のカオスの状態を作るのは本当に上手だった。”(p184)
なお、どれほど普段の練習で追い込まれていたかというと、フッカーの湯原祐希選手によると・・
” 大会前の国内合宿。精度の高さを要求されたラインアウトの練習で、投入役の湯原は低い球を投げてしまった。
エディーさんは、そのたった1回の失敗に怒りを爆発させた。激しい剣幕で「トップリーグレベルで満足なのか。もう家に帰れ。奥さんもハッピーだろう」とまくし立てられた。
・・中略・・
30歳を過ぎて、指導者にあんなにもぶち切れられるなんて思ってもいなかった。でも、後になって振り返ると、また違う感慨も湧いてくる。
エディーさんはいつも言っていた。「チャンスは1回だけ」その通りだと思う。
本番で同じ場面は二度と訪れない。そこに失敗すれば、チームが負けるかもしれない。”(p86)
快挙の裏側に築かれていた必然
練習時にエディー・ジョーンズHCに向き合わされた厳しさが、各所、文字から滲み出てきました。
一般人が「体育会」と聞くと、尋常ではない練習の厳しさを想像する人が私を含め多いと思いますが、
そういった修羅場を耐えて抜いてきた、或いは世界レべルでしのぎを削ってきたアスリートたちが
音を上げそうになるまでの極限の状況で追い込まれていたからこそ、格上の南アフリカ相手に殆どミスのないゲームを最初から最後まで貫き、ライス1プレーで勝機を見出す展開に繋げられたと。
南アフリカ戦を筆頭に、それまでのワールドカップ7大会を通じて1勝(21敗2分)しか出来なかった日本が、一挙に3勝を勝ち取るまでに至ったからこそ
熾烈を極めた練習が美談として語られている部分が大きいと思いますが、エディー・ジョーンズHCには確信(或いは唯一の選択肢)あってこその「追い詰め」であったのでしょう。
当初の目標であった決勝トーナメント進出は叶わなかったもののワールドカップで戦績が、日本国民及び世界に存在感を知らしめるにまで至った成功は、まぐれではなく、必然に導かれての結果であったことが、選手の証言によってよく分かりました。
残すところ南アフリカ戦で華麗なる切れ込みから追撃のトライを導いた松島幸太朗選手、決勝トライを決めたカーン・ヘスケス選手、更にはチーム随一の人気を誇る五郎丸歩選手など9選手。
読了時にもう1回、内容をフィードバックしたいと思います。