みうらじゅんさんが明かす「一人電通」でブームを起こす極意:『「ない仕事」の作り方』読了

先日、中間記をアップロードした、みうらじゅんさんの『「ない仕事」の作り方』を読了.-

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<< 2016年3月20日投稿:画像は記事にリンク >> みうらじゅんさんが明かす「一人電通」でブームを起こす極意:『「ない仕事」の作り方』中間記

残っていたところは「第3章 仕事を作るセンスの育み方」と「第4章 子供の趣味と大人の仕事 〜 仏像」で、

印象に残ったのは「みうらじゅんの素」とも云うべき、今のみうらじゅんさんが出来上がることになった考え方で

第3章にあるそういった部分中心に抜き出していきたいと思います。

世に出るチャンスを掴んだ粘りと戦略

今となっては読者層が異なる様々な媒体で連載を抱え、ブームを起こしやすいともいえるポジションにいるみうらじゅんさんですが、

当然、当初はゼロからの立ち上げで、まず何からスタートしたかというと・・

” 「みうらの描いている漫画は、『ガロ』くらいしか載らないよ」と友人に言われたので、素直に聞いて何度も持ち込みましたが、

ボツの連続で、もう持っていくところがありませんでした。10回目の持ち込みでようやく掲載してもらえたときは、心底嬉しかったです。”(66%/百分率は電子書籍のページ数、以下同様)

そこから飛躍していくには、下記のような戦略的な面もうかがわれ・・

” 大学卒業後は、知り合いになった雑誌の編集部によく出入りするようになっていました。

それは、「いつか、誰かの原稿が落ちるかもしれない」と考え、その空いた誌面を狙っていたからです。

実際、「ビックリハウス」という雑誌で、ある先生の連載原稿が落ちてしまったとき、編集部にいた私に代筆の依頼がきて、一晩で数ベージの漫画を描き、それが掲載されました。”(67%)

出入り先には、みうらじゅんさんの友人が糸井重里さんの事務所に勤めていた縁で、糸井重里さんの事務所に入り浸るようになったそうで

” 「ヤングマガジン」から連載の依頼が舞い込みました。メジャー誌で描けるということで、とても嬉しかったのですが、

編集部からは「糸井さんの原作ではないと企画が通らない」と言われました。

しかし糸井さんは「みうらは一人でやるべきだ」とおっしゃいます。メジャー誌に描きたいわ、一人ではどうしようもないわで悩んでいたところ、

「原作はやらないが、『相談』というのはどうだ?」と、全く新しい提案を糸井さんがしてくれました。

毎週、私が「変な話」をしに行き、糸井さんが「それが面白い」とおっしゃったものを、漫画に描くという連載です。

今思うと、それこそが「ない仕事」の原点だったと思います。

私にしてみると、メジャー誌で、週刊連載で、しかもカラーページです。つい「いかにも漫画っぽいこと」を考えてしまいがちでした。

そんなとき糸井さんは「それは面白くない」と一刀両断です。

「だったらこの間、お前が話してた、水原弘のハイアースの看板の話を、そのまま描けばいい」とおっしゃいました。

70年代、日本の各地で見ることができた、歌手の水原弘さんの殺虫剤のホーロー看板が、時を経ていい感じに錆びて残されている様がおかしい、という話でした。

連載1回目でしたから、正直なところ、「これを描いても誰にも伝わらないだろう、連載も打ち切られるかもしれない」と思っていたのですが、糸井さんの指示どおりその話を漫画にしました。

当時のヤングマガジンは「AKIRA」と「ビー・バップ・ハイスクール」が大人気の時代です。

そんなときに、水原弘のハイアース漫画は、やはり受けるはずがなく、読者アンケートでは最下位の結果。

しかし、編集部は「ここまで人気がないのは、逆に読者に意識されているからだ」と判断、連載は続行し、内容がどんどん過激になって、ファンも増え始めました。

これがマイナーな発想をメジャーに無理矢理差し込んだ最初の挑戦で、私にとっては大事件でした。”(69-70%)

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連載第1弾:水原弘のハイアース漫画(本書挿絵から)

そこから更に戦略が奏功するエピソードが紹介されていて・・

”  雑誌に描いていない些末な「ネタ」は山ほどありました。例えば怪獣映画やボンドガールについて。

仏像や、NHK教育テレビの「たんけんぼくのまち」に出ていたチョーさんの話・・・などなど、個人的に気になっていたものがたくさんありました。

ただそれらを「今、これが気になっています」と発表する場が、当時の私にはまだありませんでした。

そこで私は、頼まれたオシャレなイラストの「余白」に、米粒くらいの大きさで「気になっているネタ」を描き込むことにしたのです。

ファッション雑誌に頼まれたカップルのイラストの余白に、意味なく太陽の塔を描き込んだり、

ティーン雑誌のイラストの余白に、頭が円で体と手足が線の「棒人間」を描き、そこに矢印で「岡本信人」と書き込んだり・・・。

しかし、この「余白ネタ」が違う雑誌の編集者の目に止まり、余白ネタだけを拡大した連載も始まりました。

ようやく私の面白がっているものを発表する場が、徐々にできていったのです。”(71%)

ない仕事を作り出す、みうらじゅん という生き方

こういった道筋を経て、「みうらじゅん」というキャラクターがご自身と世間で確立されていくわけですが、生き様に関して・・

” よく「前向きに生きる」と言いますが、私はいつも前を向いて走っていました。

何かを見つけて売り込み行くことが仕事なので、面白いことが見つけられなくなったら社会からリストラされてしまうという強迫観念が常にあるからです。

だから自分の出た番組も見ないし、自分の本を読み返すこともほとんどない。

振り返らず走ってきて、自分の足元を確かめていなかったために、自分の立っている道が狭い裏通り、いやむしろ「けもの道」だったと気づかなかったのです。”(73%)

” 自然体で生きていたら楽かもしれませんが、それでは仕事はきません。特に「ない仕事」の場合は。

私が「ナチュラル素材の服がいい」とか「オーガニックな食べ物がおすすめ」と言ったところで、誰が話を聞きにくるでしょうか?

「ゴムヘビを集めている」「『シベ超』(註:故水野晴郎監督のシリーズ作『シベリア超特急』の略称)が面白い」と言うから、「なんですかそれ?」とようやく興味を持ってもらえるのです。”(77%)

みうらじゅん著『「ない仕事」の作り方』仕事に悩み、迷った人へのメッセージ(再掲)

そのような唯一無二の存在を確立した自分自身に自信を持っているのかと思いきや・・

” 当の私は、いつまで経っても不安です。不安というのは若い頃の特権と思われがちですが、どっこい今でも不安です。

思い返せば、不安でなかった日など1日もありません。

・・中略・・

若い頃から「変わった人」に憧れてきましたが、加齢がプラスされると、その「変わった人」にも迫力が出てきます。

「不自然に生きねばならない」と思う必要がなくなってきた、とも言えます。”(79-80%)

最後、本の締め括りで・・

” 結局私は、価値基準がないものに肩入れし、そういうものを「マイブームだ」と言って買い、この先もずっと「アンチ断捨離」の余生」をおくるのでしょう。

私は昔から「またやってる」ではなく「まだやってる」と人に言われるようになりたいと思ってきました。・・中略・・

私もそろそろ周囲から呆れ顔で「まだやってる」と言われる域に近づいてきたような気もします。

新聞の就職欄をたまに見るのですが、もうこの年になって再就職できる職業はなさそうですし、私は「ない仕事」を「まだやっていく」しかないのです。

人生どうなるかなんてわかりませんが、ひとつはっきりしていることは、他人と同じことをしていては駄目だということです。

なぜかというと、つまらないからです。皆と同じ人気職種を目指し、同じ地位を目指すのは、競争力も高いし、しんどいじゃないですか。

それよりも、人がやっていないことを見つけて達成するほうが、楽しいじゃありませんか。”(97-98%)

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読者を限定しない汎用性の高い実践の書

みうらじゅんさんが世に出るきっかけに、糸井重里さん有り、という人の縁の大切を感じましたが、そこは友人の伝手で事務所に入り浸っていた厚かましさも大きかったでしょう(笑)

広義でTVタレント本として捉えられ、読者が偏ってしまう可能性はありそうですが、

営業、接待に至るまでの仕事術に、ニッチ市場を見つける発想法に、底流に流れる哲学に・・

それらの事柄が、著者のみうらじゅんさんの実体験を踏まえ、分かりやすく且つ赤裸々に記されており、幅広い読者層の満足に応えられる一冊であったと思います。

また、中盤から後半にかけての「みうらじゅん語録」も本書の独自性を際立たせており、その感性に触れる価値もあるように感じています。

 


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