ゴールデンウィーク期間中から、3冊くらいの本の中から気分に応じて読み分けていますが、
数日前に読み始めた岩元貴久さんの『幸せはすぐそばにある』 ↙︎
の中に「深いなぁー」と感じた箇所があったので引用したいと思います。
岩元貴久さんは、一昨年のジョン・ディマティーニ博士の講演会で ⤵︎
ジョン・ディマティーニ博士が登壇される前に数分話されていた姿を拝見しており、お名前を覚えていたことに加えて
今月末に受講する関連セミナーの予習に、amazonの読者レヴューが良かったことなどから、本を購入してみることに。
本に関する全体的なことは、数日後に読了記という形でアップロードしたく思い、今回はピンポイントで。
嫉妬することで得られる気づき
天命に関する考察箇所で、岩元貴久さんが折に触れて「嫉妬」という感情に苦々しい思いを抱いてきたとして・・
” 人生で大切なこととは「天命」、つまり、私たちがこの世に生まれてきた目的のことです。
私たちの人生に繰り返し嘆くようなことが起きるのは、それが天命だからだというのです。
私(註:岩元貴久さん)は、この言葉に、嫉妬に対する光明を得た思いでした。
私が、嫉妬をしては自己嫌悪に陥ることを繰り返しているのは、そこに自分の天命があるからなのだ。
そうだとしたら、その嘆きの意味している目的は何か?と考えてみました。
嫉妬とは何か?ウィキペディアによると「嫉妬(しっと envy)とは、自分とは異なるものや、自分から見て良く見えるもの、
自分が欲しい(欲しかった)ものなどを持っている相手や快く思わない感情。
僻み(ひがみ)、妬み(ねたみ)、嫉み(そねみ)、やっかみ、ヤキモチ、動詞化して「妬(や)く」などともいう」とあります。
ここから、嫉妬について、2つのことを学びました。
1 嫉妬は、それが自分の求めているもので、自分がまだ満たされていないものであるということ。もし、誰かに嫉妬したとしたら、それはその相手が実現したことを、自分も実現したいと思っているということです。
ということは、嫉妬することで、自分が何を実現したいのか?やりたいこと(願望)がわかるということであり、そして、嫉妬の相手は、その願望を実現したよいお手本なのだから、その人に実現の方法を教えてもらうほうが、嫉妬するよりもずっと自分の為になります。
こう考えると「嫉妬」は、自分自身が氣づいていない、自分の中にある満たされてない願望を教えてくれているのですね。
2 嫉妬とは、相手を認めることが正しいと知りながら、それができない状態。心の中では相手を認めていながら、表面的にはそれを認めようとしないことなのですね。
出口さん(註:『天命の暗号』の著者の出口光さん)の言うように嘆きの中に天命のヒントがあるのであれば、「嫉妬してしまう=認めることができない」ことが、私がなすべきこと(天命)を教えてくれているはずです。
そう考えると、私の天命は、他人(の能力や特徴、成功や幸せ)を認めることではないか? と思えてきたのです。”(p92-94)
起こるべくして起こる感情
この後、更に考察は続いていきます。
嫉妬って、数ある人が抱く感情の中でも扱い難い感情の一つであると思い、
気づいても(向き合おうとせず)誤魔化したくなる感情であると捉えていますが、
「嫉妬すること」を直視することで、自分が真に求めていることに気づくことが出来るとは、一つブレイクスルーでした。
また、天命だから「人生に繰り返し嘆くようなことが起きる」という指摘も、実感に至らずとも、何となく分かるような感覚を抱きましたので、これからしばし(この指摘を)咀嚼してみたいと思います。
因みに、天命にご興味をお持ちの方は、納税額日本一でお馴染みの斎藤一人さんは講演会で
【斎藤一人さん】天命の話(最初で最後の講演会?)
👆の通り説明されていますので、参考までに。