誕生日を迎える心境の昔と今
誕生日。「プレゼント何貰えるのかな(貰おうかな)・・」の段階は遠い昔。
社会に出て一年、また一年と齢を重ねるうち、社会(家族、会社、地域コミュニティ等)に対する責任や時計の針を元に戻す事の出来ぬ事への思いなど
無事に誕生日を迎えられた喜びもありますが、
幼少の頃のワクワクしたお祭り感覚からは切り離され、地に足を付けている現実への思いの方が強くなっています。
Facebookが復活させてくれた誕生日の特別な感覚
で、Facebook。登録してから迎えた4回目の誕生日。Facebookのかゆい所に手の届く感じのお知らせ機能もあり、
毎年、多くの方から投稿、メッセージ、コメントを寄せて頂き、
Facebook加入前は、年々、誕生日が他の普通の日に近付いていくなか、
Facebookによって、昔、誕生日に抱いていた特別な日、祭り感覚を呼び起こしてもらい
「やっぱり誕生日いいな」なんて実感出来る一日に戻されたかの気持ちを抱かせてくれます。
誕生日コメントへの対応は人それぞれ
方や自分がコメントを送る側として見ると、対応される方のタイプを見ると下記のように大きく分かれますね。
1. 全投稿にコメント返し
2. 全投稿に「いいね!」
3. 一部投稿に反応「コメント」、「いいね!」
4. まとめて御礼を投稿する
5. 一切スルー
自分の場合、昔、ホームページを作成して、掲示板の管理を始めた時から、原則、全投稿に返信する事を心掛けていたので
必然、対応漏れが無いかに相当の意識を集中する事になります。
今日、それを履行出来たか否か、明日確認する必要がありますが(汗)
人数の多寡に関わらず、多くの方に時間と手間を割いて頂いた分、個別に丁寧に対応させて頂くのが筋であろうと。
祝い事にはサプライズ
嬉しいのは、予想していなかった方にコメントを投じて貰える事。一旦、止まっていた時計が、そこから動き出す事にも繫がり、
今度、自分が逆の立場になった時、相手の方に同じ思いを伝える事も出来るようになります。
注意しなければならないのは、対応が雑になって抜けなどが生じた場合
こちらの単なる過失なのに、先方はこちらの意図、悪意を勘ぐられたり等の誤解の導火線と成り兼ねず生じたりして
折角の機会が反動となってしまう事も考えられます。
たまたま人のウォールでそういった状況を見付けても指摘するのが不自然な感あり、
自分がたまたま見付けた時は、相手のためと思ってその時は伝えましたが、原則、管理している人が見付けないと傷跡を残す事にもつながり兼ねません。(考え過ぎ?)
Facebookが便利なツールである半面、ネットを介した人と人とのやり取りなので、その辺の丁寧さは心得ておかないとと思いました。
最後に改めまして、こちらをご覧の方で改めましてFacebook、メール等でコメントを頂きました方々、誠に有難うございました。