前回、高城剛さんの『白本』の続き。
>> 高城剛さんのライフスタイルから導かれた答えに感じる生き方:『白本』その壱 <<
その際、最後に「瞑想の習慣」と書きましたが、
” 朝早く起きて、走る前に走っているご自身をイメージし(これが大切)、その後短くても良いので走ってみると、今までとは違ったアイデアや気の進まない仕事にも手がつけられると思います。
それは、走ることで呼吸が変わり、身体が反応し、思考が変わるからです。30分で構いません。できれば、心拍計を付けて、210マイナス年齢の60%〜80%の数字を保つようにしてください。
そのうち走らなくてもそのような無心な状態に持っていくことができるようになります。そのひとつが瞑想です。” (87%/紙の本でいうところのページ数に相当/以降同様)
本の別パートでは・・
” 大切なことは、どんなときも発想を抜本的に変えること。” (69%)
とあり、日々のちょっとした心掛け、習慣で、今までにない自分を形作っていくことができそうです。
優先順位をしっかり頭に描く
高城さんの人生訓として・・
” 僕にとって「豊かである」ことは、自由な時間です。” (25%)
” 過剰な消費を必要としなければ、過剰な労働は必要なくなりました。これも極めて当たり前ですが、バランスこそがもっとも大事であり、お金よりも時間こそが取り返しがきかないことは事実です。・・中略・・
目的は時代によって違えど、自分が面白いと思ったことをずっとやり続けているだけなんだと思います。” (26%)
“「自分にとって面白いこと」→「自由な時間」→「収入」や「他者からの評価」が優先順位になります。” (26%)
” 絶対に選ぶべきは「自分が好きで選んできた道」しかありません。ぜひ、ご自身の道を進んでください。” (31%)
因みに高城さんが定義する「自由」とは・・
” 自由とは決意だと思います。ある時から「自由に生きる!」と決断することだけだと思いますね。” (100%)
「思いやり」と「感謝」が人を包む時代
今の時代に大切な事・・
” 僕は、この時代にもっとも大切なことは「コミュニケーション」だと思ってます。自著にも書いていますが、僕にとって「コミュニケーション」は「思いやり」と訳すべきものです。” (58%)
” なにより、相手のことを思う気持ちがなければ、伝わっても伝わらなくてもうまく行きません。” (58%)
” すべての人と人とのふれあいの根底に「感謝」の気持ちを本当に持っているのか、がとても大切だと個人的にはいつも思っています。” (70%)
正しい「ポジティブ」を作る方法
” 心と身体はつながっています。 ・・中略・・ 心と身体が話し合わないようになると、たちまち身体に不調が出てきます。
・・中略・・ 身体に聞くのです。そのアプローチのひとつに、僕はキネオロジーをを使っています。
世界保健機構(WTO)は、健康であることを、「身体的」「精神的」「社会的」そして「霊的」であるとしました。” (63%)
” 現在の多くの人たちの問題は(時には社会の問題は)、「身体的」「精神的」「社会的」そして「霊的」なバランスが悪いことにあります。
人間は、本来全員が前向きであるようにできています。ですので、前向きになることを考えるのではなく、是非、バランスを取ることをお考えください。
アンバランスなまま、前向きになろうとすると「間違ったポジティブ」に陥ります。
バランスを整える。そうすると、人は自然に前向きになるのです。” (64%)
時期を創る
” 僕は「運」というより、この世のすべては「タイミング」だと考えています。” (79%)
この考え方に「高城剛」の大きな源があるように読み取りました。
思いのほか、筋が通っている高城流
といったところ。結構、文にマーカーをつけ、高城流を様々学べ、本を読む前に抱いていたマスコミを通じての先入観がだいぶ払拭されました。
因みに、高城さんが紹介される際に付される「ハイパーメディアクリエイター」の称号に関しても、読者から質問があり・・
” 学生時代に、取材に来た新聞記者がつけてくれたものです。当時、僕が通っていた大学は、「映画」「放送」「音楽」「写真」「文芸」など学科が縦に分かれ、
僕は常に「全部やるのがこれからの時代の流儀なのに、縦割りしてここは職人養成所?」と、学内だけでなく、雑誌や新聞でも悪態をついていました。
その悪態が面白いと思って取材にきた新聞記者の命名で、メディアを「超える=ハイパー」から来ていると思います。” (99%)
といった経緯のようで、因みに高城さんご自身は「今も昔も肩書きが好きではありません。」との事。
確かに、私自身もこの肩書きを最初耳にした際、(失礼ながら)何やら面倒な感じがして、先般の芸能情報での取り上げられ方があり、自然と距離を置いていましたが
特に明日以降で取り上げようと考えている『黒本』では、覚悟の決め方も見事で、報道を通じて受動的に浴びる情報と、
自分で目的を持って得られる情報の感じ方は大きく異なるものですね。といった事を今更ながらに実感しました。