百田尚樹さんの『大放言』を読了。
タイトルだけ見せられて、「この本を書いた人は誰でしょう?」なんてクイズがあれば
圧倒的に百田尚樹さんの名が上がりそうですが(笑)本書では百田尚樹さんの思いの丈に、その舞台裏に、
百田尚樹さんの世界観であったり、世相であったり、文字の迫力を通じて、それらのことが響いてきます。
真意が歪めれた放言の構造
例えば、第四章は「我が炎上史」と題され、
「人間のクズ」発言
「ナウル・バヌアツはクソ貧乏長屋」発言
「九条信者を前線に送り出せ」発言
など、過激な表現が並びますが、このような発言の大部分は全体の文脈の中から発言の一部が切り取られ、
前後の文脈が切り捨てられてしまったがために、本来の意図とは違った形で広められてしまったことによるもの。
また、或いは多くの人の勉強(理解)不足にもとづくもので、過激な物言いの裏側には
「きちんと調べられた上で発言されているのだなぁ」ということを再認識させられました。
ということで発言を切り取った引用は今回、控えたく考えていますが、当たり障りのないところで
「ブログで食べたものを書くバカ」と題された項目で
” 二〇〇六年には驚くべきニュースが流れた。何とインターネットの世界で、ブログで最も使われている言語として日本語が英語を抜いて世界一になったのだ。
・・中略・・
なんと日本人は世界で一番、何かを主張したい民族だったのだ。”(p43)
という前段から、ブロガーの苦悩に話しが移行し、
” ブログ開設当初の書き込みを見ると、少しはかっこいい知的なものにしようという気持ちは見える。
最初の頃は、読んだ本の感想などをなかなか頑張って書いていたりもする。あるいは人生についての哲学的な考察みたいなものが書かれていたりする。
しかしたいていの人が三日もすると、書くことがなくなってしまう。自分の人生は思っていたほど劇的で面白いものではないということに気付く衝撃的な瞬間だ。”(p45)
と以降、ブログの更新が途絶えてしまう考察が続いていきますが、日々ブログを書き連ねている一人として興味深い言及でした。
その痛快なる
奥さまによる百田尚樹さん評が
“「この人、叩かれることのストレスよりも、言いたいことを黙ったままにしておくストレスの方が大きいから」”(p223)
というもので(笑)また(百田尚樹さん)ご自身も
” 私も来年で還暦を迎える。(註:二〇一五年七月時点)若い頃と比べると、さすがに随分丸くなったと思う。しかしこの性分だけは死ぬまで治らないだろう。
長生きできたところでせいぜい二十年ほどの命である。小説家にしがみつく気はない。「放言」くらいは好きに言わせてもらおうと思う。”(p223)
と近い将来、また放言が炸裂し、社会を騒がせるかもしれませんが・・
国会招致が検討され、むしろ国会に呼ばれることを心待ちにするほど
好きなことを遠慮なく言い放てる覚悟、その生きざまは読書を通じて眩しく写ってきました。