一昨年( 2015年)夏以来で、
ロンドンブーツ1号2号の田村淳さんの著書を購入。2冊目となった今回は『日本人失格』。
八重洲ブックセンターに立ち寄った際、サイン本を見付けたことが購入の決め手でしたが、
TV出演時と同様、ストレートな物言い(言葉づかい)からさまざま考えさせられ、共感出来る主張も多かったです。
何者であるかを知り、一隅を照らす
Twitterなどで情報発信をされ、さまざな反応を得る中で誹謗中傷が目立ち・・
” 思うに、ネットを荒らしている人たち、有名人のあら探しに躍起になっている人たちは、毎日の生活の中で何かしらの不満や不安を募らせているのだろう。
だから、それらを解消したいがために、他人にちょっかいを出す。
でも、大事なことって、安全な場所から人に矢を放つことではなく、自分なりにその不満や不安とどう向き合って消し去るかじゃないのかな。
それが楽しく生きられる一番の近道だと思うんだけどー。”( p11)
という状況、分析を踏まえ、最澄の言葉『一隅を照らす』から紐解いた解決策が興味深く・・
” 僕的な『一隅を照らす』の解釈はこうだ。
まずは自分が「何者」であるかを知ること。まだなんの実績もないとか、成し遂げたものがないから、自分が「何者」であるかわからない、と思う必要はない。
ここで言う「何者」は、自分は何が好きか嫌いか、どういうことに感動するか、泣くか、怒るか、許せないか、あるいは、ズルイか、セコイか、しっかりしているか、だらしないか、エロいか・・・そんなことでもいい。
とにかく自分はどんな人間かを、良いところ悪いところ、丸ごと含めて認識することだ。
そして、その中でも、絶対に変えたくない、譲れない自分の「核」みたいなものをはっきりさせる。
この「核」は、触れられると怒ったり、悲しくて泣いたり、好きで好きでたまらないみたいな、感情的になってどうしようもない部分と思えばわかりやすいかな。
そうして、自分の「個」を認識し、その「個」を磨くことによって、自分のやりたいこと、やれること、やらなければいけないことも見えてくる。
それらに必死こいて取り組んでいるうちに、人は明るく輝き『一隅を照らす』ことになる ー。”(p112-113)
この部分は、本の最後「おわりに」でも再び
” 自分で自分の「個」を磨くということは、「自分が何者であるか」を知る取っかかりにもなるわけで、
「自分を知る」ということは、自分の可能性を知ることにもつながるし、今の日本人に一番、意識できていないことなのではないのかなと思ったわけ。”(p198)
と表現されており、数ある主張の中でも最も伝えたかった部分といえるでしょう。
「個」を磨き、「個」で生きる
本のタイトル『日本人失格』は、上記一文を逆説的に表現したものと捉えていますが、
一般的な人の数十倍、数百倍の人を相手にしている中で、田村淳さんが感じられていることを
生い立ちを絡めて主張が展開されているもので、日本社会に軋轢を感じながらも
” 今は公私の区別がつかずに忙しいといえば忙しいけども、しゃにむに動けているぶん、充実しているし、けっこう幸せだ。
結果的にやりたいことをやれているから、ストレスフリーの人生を歩めていたりする。”(p12)
との境地に至り、そこには
” 自分はこういう生き方をしますっていうオリジナルのルールを作れれば、意外と他人の目や評価が気にならなくなるのに。
他人のルールに従ったり、縛られているせいで、多くの人たちが軽やかに動けずにしんどい思いばかりしている感じがする。
実社会だけじゃなくネットにも縛られて・・・。”(p191)
と解も示され、一冊を通じて自分自身と向き合い、自己実現を遂げていったプロセスを学ぶことが出来ます。