百田尚樹さんがファイティング原田さんの現役生活を通じて描いた一九六〇年代の日本:『「黄金のバンタム」を破った男』読了

作家 百田尚樹さんが、ファイティング原田さんの現役時代を描いたノンフィクション『「黄金のバンタム」を破った男』を読了。

購入時のレシートを確認すると、2014年1月。サイン本ということに飛びついてから

しばらく積読本となっていましたが、手持ちの未読本が切れたタイミングで手に取ったら

程なく本の中で展開されている世界に魅了されていきました。

購入した本に書かれてあったサイン

ファイティング原田が駆け抜けた時代

話しの中心は、

” エディ・ジョフレこそは、ブラジルが生んだ史上最強のチャンピオンで、不世出のボクサーと呼ばれていた。

・・中略・・

最高級のテクニック、破壊的な強打、そして鉄壁のガード ー ボクサーにとって最も大事な三つを兼ね備えたジョフレはまさに「ミスター・パーフェクト」と呼ぶにふさわしく、

当時、世界のボクシング関係者がこぞって「パウンド・フォー・パウンド」(Pound for Pound)」のナンバー1と評価していた。

「パウンド・フォー・パウンド」とは、階級の違うボクサー同士を比べるのに、同じ体重として仮定して戦わせれば誰が一番強いのかということを見るボクシング界の独特の評価システムだ。

・・中略・・

ジョフレの評価の高さは現役時代にとどまらない。引退して四十年近く経った今も、世界中の専門家たちが「バンタム級史上最強のボクサー」として名を挙げる偉大なるボクサーだ。”(p178-179)

と数多賞賛の言葉が並ぶ伝説のチャンピオン エディ・ジョフレとの対戦をクライマックスに、そこに至る道のり、舞台裏に、その後など。

日本ボクシング界の黎明期から夜明けまで

本書が素晴らしいのはファイティング原田さんのキャリアが克明に記載されていることにとどまらず、

日本人ボクサー初の世界チャンピオン 白井義男さんに始まり、

” 昭和二十七年(一九五二)、白井義男がこのタイトルを獲得した時、日本人は敗戦によって失われていた自信と誇りを取り戻した。

白井こそは日本人の希望の星であり、そのタイトルは一人白井だけのものではなく、日本人が自分たちのタイトルだと思っていた。

この当時の日本人にとって「世界フライ級チャンピオン」というタイトルは、単なる一スポーツのタイトルではなかった。

日本人が世界に胸を張って誇れる「偉大な何か」だったのだ。”(p10)

海老原博幸さんに、

” ちなみに『あしたのジョー』の丹下段平と矢吹丈は、明らかに金平(註:協栄ジム金平正紀初代会長)と海老原の二人をモデルにしている。”(p54)

矢尾板貞雄さんに、

” 個人的な話で恐縮だが、私の父は後に多くの日本人チャンピオンを見た上で、「自分が見た最高の選手は矢尾板だ」と言っていた。

父に言わせると、速くて、華麗で、抜群に上手いテクニシャンということだ。”(p65)*父=百田尚樹さんの父

と、日本ボクシング界の黎明期から世界チャンピオンが生まれ始めたボクシング界の夜明けに至るまでの史実が克明に記載されており、

この本を一冊読んだだけで、かなりのボクシング通を名乗れるのでは?と資料的な価値も実感出来ます。

ファイティング原田さんが灯した日本の希望

ファイティング原田さんのお名前は、長く務められた日本プロボクシング協会会長職であったり、ボクシング解説であったり、名前と顔はしっかり頭に刷り込まれていたものの、

日本のボクシング界に果たした役割、遺した重みといったことには把握出来ておらず、本書を通じてよく学習することが出来ました。

現役時代のその人気たるや

” ビデオリサーチがモニターによる視聴率調査を始めたのは昭和三十七年(一九六二年)の十二月からであるが、

それから五十年の歴史の中で、この時の「ジョフレ対原田」戦の数字は歴代二十二位である。

また、歴代二十五位以内に入る番組の中で、ボクシング中継は六つあるが、驚いたことにそのすべてが原田の試合なのである。

もちろんすべて視聴率五〇パーセントを超えている。

この年、原田はNHKの「紅白歌合戦」の審査員にも選ばれた。この頃の「紅白歌合戦」は視聴率七〇パーセントを超える「国民的番組」で、

この審査員に選ばれるというのは、それだけで「国民的スター」として認められたのと同じだった。”(p217)

エディ・ジョフレとの再戦時は・・

” この試合のテレビ視聴率は六三・七パーセントという驚異的な数字をマークした。単純計算してほぼ三人に二人は観たことになる。

まさに全国民が固唾を呑んで見守ったのだ。この数字は歴代視聴率の第五位にあたる。

この年、ザ・ビートルズの来日公演が五六・五パーセントであることから、いかにすごいかがわかる。

またこの二年前に行われた東京オリンピックの「女子バレーの決勝戦」の数字が六六・八パーセント(歴代二位)だから、原田の防衛戦は東京オリンピック並みの関心事であったことがわかる。”(p241)

また、人気の背景を

” 大衆は原田の持つ、明るい性格、一所懸命に努力する真面目さ、目標とするものに向かうひたむきさ、大言壮語しない謙虚さ、礼儀正しさ、といったものを愛したのだ。

原田こそ、まさに戦後の日本人が忘れていた古き良き日本人の美質を持った若者だったのだ。

だからこそ、国民はそんな原田を懸命に応援したのだ。”(p242)

と、想像を軽く超えたところの「伝説」であることをまざまざと実感させられました。

ボクシングに興味のある方はより楽しめる内容と思いますが、ボクシングファンに非ずとも一九六〇年代の日本の熱気をファイティング原田さんの生きざまから感じられる一冊です。

 


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