先日、読了記をアップロードした
『アップルを創った怪物 もうひとりの創業者、ウォズニアック自伝』の中で、
スティーブ・ウォズアニックの思いから実現したUS Festivalについて言及した箇所をピックアップ。
ウォズのウッドストック
第17章 僕の「ウッドストック」と題された章に書かれており、
” プログレッシブ・カントリーを聞くと、そこには、昔からなじんでいるボブ・ディランと同じような考え方があるように感じる。
人生で何が正しくて何が間違っているかを指摘するなど、歌詞は深いしね。
・・中略・・
『ウッドストック』という映画を観たのも、このころだった。この映画にもいろいろと深い意味があった。
成長し、新しい生き方を模索する若者にかかわる意味がね。それを歌にしたのが、そのころ僕が聞いていたプログレッシブ・カントリーと言ってもいいだろう。
まるで、またしても音楽革命が始まったような気がしたよ。
そこで気づいたんだ。やればいいんだって。僕の世代にとってのウッドストック・フェスティバルを開いちゃえばいいんじゃないかって。
このとき、僕には使い切れないほどのお金があった。三〇歳で、たぶん一億ドル以上の資産があったからね。”(p345)
というきっかけから賛同者が集まり・・
” そうそう、二〇〇万ドルの小切手を切った二週間後、僕はボブ・スピッツが書いた「Barefoot in Babylon」という本を読んだ。
ウッドストック・フェスティバルについて、開催準備を始めたところから詳細に記録した本だ。
スタッフを探し、場所の許可を取り、広報をして、グループを集め、政治的な問題を解決したこと、直前になって場所を変更しなければならなかったこと、
そして、集まった人数に対して準備が不十分であったことなどが書いてあった。
読み進むにつれ、僕は息をのんだ。うわ、悲惨だなぁと思ったんだ。肝が冷えたよ。なんてことを始めちゃったんだって、後悔したね。
正直に言おう。あの本をもう二週間早く読んでいたら、あんなこと、僕はやろうとしなかった。絶対に、ありえないよ。”(p348)
という運命のいたずらに(笑)
そこから紆余曲折がありながら、開催日の一九八二年、九月最初の週末を迎え・・
” そして成功したよ。大成功だった(註:五十万人近くの来場)。お金は失ったけど(註:損失 一二〇〇万ドル近く)、そんなのたいした問題じゃない。大事なのは、人々があそこでいい時間を持てたこと。
・・中略・・
僕のところには、人生最高のコンサートだったって手紙や電子メールが、今もまだ届くんだ。
僕はただ、みんなに来てほしかった。そしてあのとき、みんな笑っていたと思う。”(p354-355)
そして迎える「人生、最高のとき」
VAN HALENが出演するのは第二回の開催時となりますが、第一回が終わった後、
” 僕は、もう一回やろうと決心した。手伝ってくれた人たち全員に、「もう一回、やろうじゃないか。
第一回で、世の中に十分知ってもらうことができたんだし、僕らは注目されている。これなら絶対にいけるよ」って言ったんだ。みんな燃えたよ。”(p362)
しかし、
” 結局、損が出た。また一二〇〇万ドルだ!どうも、バンドにめちゃくしゃ払いすぎたらしい。たとえば、ヴァン・ヘイレンには、一回の演奏に対して一五〇万ドルを払った。
これがバンドへの支払いとして史上最高の記録になったってあとから知ったよ。
デイヴィッド・リー・ロスもひどかったな。僕に会ったときは紳士って感じだったけど、ステージではほとんど倒れていたみたいなものだった。
酔っぱらっちゃって、何を言ってるんだかわからないし、歌詞なんかみんな忘れちゃってたみたいだった。”(p363)
多額の損失を計上したのは
” 費用をカバーできるだけのチケットを販売できなかったと言ってもいい。”(p364)
との結果も、「人生、最高のとき」との見出しで
” それでも、USフェスティバルはすごい成功だったって、僕は思っている。もう一回やるかと聞かれれば、やるって即答するよ。本当に。あれはすごい経験だった。
みんな本当に楽しんでくれた。みんな、笑ってたんだ。まあ、たしかに、収支という意味では、あんまりいいものじゃなかった。
ものすごい損を出したし、それはそれでとっても残念なことだった。
忘れられないことがある。あれは第一回の終了まぎわ、コンサートプロモーターのビル・グラハムが僕のところに来たんだ。
空には満月、ステージではスティングとポリスが演ってるところだった。
ビルは僕の肩を抱き、こう言った。
「これを見てご覧よ、スティーブ。見てご覧。こんなの一〇年に一回しか見られない光景だぞ。めったにあることじゃないんだ」
ビルには、あとからこうも言われた、とっても楽しくて、みんなに支持され、しかも、めったにないことだから、これからUSフェスティバルみたいな形が増えるだろうって。”(p364)
Van Halen – 1983 US Festival Full Concert
音楽フェスティバル全盛は周知のことで、US Festivalはその原型(の一つ)になったと云えるでしょう。
私自身、USフェスティバルは実体験していないものの、友人からダビングしたカセットテープに、
海賊版ビデオを繰り返し繰り返し視聴して、ロックを体内に染み込ませるに十分な役割を果たしてくれました。
自分も噛み締めてみたいとの衝動に駆られるスケールの何とも大きな体験ですが、
本書で、自分に少なからずの影響を与えてくれたUSフェスティバルの舞台裏を垣間見ることが出来、とてもいい(読書)経験が出来ました。