武田砂鉄さんが危惧する「気配」で自爆に向かう日本:『日本の気配』読了

前々回、中間記をアップロードした

<< 2018年5月14日投稿:画像は記事にリンク >> 武田砂鉄さんが危惧する「気配」で自爆に向かう日本:『日本の気配』中間記

武田砂鉄さんの『日本の気配』を読了.-

硬いと(中間記で)書いていたわりには、時間があったこともあり、全291ページ、思いのほか、さらっと読了に至りましたが、

「第3章 愚者と巧者」で、取り上げられている内容が、ワイドショー的ネタ(小池百合子のテレビ活用法、ショーンKとの向き合い方 etc)が素材にされていて

漠然とした関心に背景を何となく掴めていたことも、ペースアップにつながったものと。

途中、(硬い≒)読み辛いと感じたところは不同意の箇所であった感も

タイトルに絡んでくるかの後半の

” コミュニケーションを、正解の積み重ねによって「能力」で語ろうとする動きは強まる一方。

でもコミュニケーションって、常に失敗しているのであって、そして、そこから飛躍していくのであって、失敗や飛躍を放置しておくほうが、対する個々の振る舞いに対して寛容でいられると思う。

コミュニケーションに失敗する。でも、その失敗は、私個人による失敗ではない。あらゆる要素によってその瞬間がくるのだから、自分を指差したり、犯人を探して糾弾してはいけない。”(p288)

或いは、本書出版に至った背景の

” ムカつくものにムカつくというのを忘れたくない。個人が物申せば社会の輪郭はボヤけない。

個人が帳尻を合わせようとすれば、力のある人たちに社会を握られる。

今、力のある人たちに、自由気ままに社会を握らせすぎだと思う。この本には、そういう疑念を密封したつもりだ。”(p291)

という指摘は連日、報道で謝罪会見を見せられるなど、息苦しさを感じている自分としては

共感出来る主張であったり、今の世の中に蔓延している空気を言語化されている一文が散見され、すっきりさせてくれる箇所も複数でした。


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