読書が、すっかり日常として定着している日々に去来したこと

前日読了↓した

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『ゴッドファーザーの血』で、今月(2018年5月)6冊目(の読了)。

実感として「このところよく読めているなぁー」と。

ただ、直近の傾向として250ページ以上の厚みを有した電車内の読書スペース確保及び移動にかさばる著作が多いことに、

2月に読んだ新井紀子さんの著書の中には

” 私自身の話で恐縮ですが、読書は苦手なほうです。大学時代から、多くても年間5冊くらいしか本は読めません。

活字を読むのは好きなのですが、そんなに早く読めないのです。

でも、自分でない赤の他人が書いた本を理解するためには、著者が書くのに要した時間の倍はかかって当たり前だと思いませんか?”(『AI  vs.  教科書が読めない子どもたち』位置 No.3040)

といった一文があったことが妙に記憶されていて、

「頭にしっかり入っているんだろうか?」といった不安も時に頭を過ぎったりしますが、

そこはJohn Demartini:ジョン・ディマティーニ博士(と記憶)の「(その人にとって大事なことは、しっかり頭に入っている)」といった物言いを信じ、

そもそもが人の生きざまに触れられている感覚は楽しく、

気になった本はメモっておいたり、書店に立ち寄った際の直感に従って、興味の赴くまま「買い」に走っている次第。

明日もまた1冊読了に達する見込み。

紙の本を買えば読み終わってからの置き場所の問題はより深刻になるし、お金はかかるものの・・

興味の向いている方向に一歩踏み出す姿勢は大事な姿勢であろうと、すっかり読書が日常と化している日々の備忘録です。


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