戸田和幸さんが示した解説者としての矜持:『解説者の流儀』中間記

現役時代は清水エスパルスをはじめ日本代表でも守備陣の要として活躍された戸田和幸さんの著書

『解説者の流儀』を読み始めて終章を含めて全12章あるうち第6章まで読み終えたので、そこまでのおさらい。

興味を持ったのは、TV中継のアングルに関して独特なコメントを発せられた記事を見た覚えがあった経緯から。

第3章の「18年のプロサッカー人生」で、

“確かに粘りに粘ったキャリアで、けっして華麗なキャリアではなかった。むしろデコボコすぎて恥ずかしいくらいのキャリアだ。

だからといってそこに悔いがあるわけではない。どんなときでも、どんな状況でも、クラブに対する忠誠心とプロとして自分のすべてを捧げるという信念を貫いてきたことは事実だ。

それが結果としてネガティブな評価を生み、悔しい想いをしたこともあった。

自分が属した組織とサッカーに対し、主体的に行動したからこそ学んだことは数多い。

周囲から見れば「失敗」と表現されるだろうさまざまな経験は、僕にたくさんの学びと知恵を与えてくれた。”(p89-90)

駆け足的に現役時代の歩みを振り返られている以外は、解説に対しての意気込みや

” 現役時代も言葉とともにプレーしてきたといっても過言ではない。コーチングとコミュニケーションはサッカーにとって必要不可欠なものだが、

チームメイトとシンクロしながら、効果的なプレーを行うために、いかに最適なタイミングで情報を与えることができるか、考え続けてきた。

だから、現在の解説者という生業は、天職ではないかと思うこともある。”(p26)

矜持といったことが、これでもかというくらい示されています。

求められていることに、しっかり応えていく姿勢

読んだところで印象的であったのは、現役時代、30歳前に読んだというドラッガーの著書の中で、

“「成果に対して、どれだけ貢献できるかが重要」ということが綴られていた。

たとえば、自分自身が成果に対して、100点のプレーを目指していたとしても、監督は僕には70点を求めている。

そういうとき、残りの30点は無駄になるばかりか、監督にとっては、「余計なもの」として見えることもある。

つまり、求められたものを理解し、そこにきちんとアジャストさせることが評価につながるし、組織の成果にもつながる。20代の僕にはその意識が足りなかった。

大切なのは、自分本位の「全力」ではなく、与えられた仕事を理解し、オーダーに応じること、自分の100パーセントが正しいわけではない。

求められているものに対して、正しく貢献することができなければ、評価を得られない。”(p129-130)

の一文には、現役時代、赤モヒカンであったなどした戸田和幸さんの出で立ちとは裏腹な洗練された内面を垣間見た思いで、

ご自身で自覚されている通り、言語化に秀でた面が伝わってきます。残り6章(約100ページ)もその感じに浸ることが出来ればと思います。


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