2017年10月1日、一橋講堂で開催された公益社団法人 自由人権協会(JCLU)七〇周年記念シンポジウム
「デジタル時代の監視とプライバシー ー市民によるコントロールのために!」での内容をもとに出版された
『スノーデン監視大国日本を語る』を読了。
広がる一途の国家と国民相互の情報アクセス格差
本の冒頭、
” 二〇一七年四月、世界は、アメリカ政府が日本政府にXKEYSSCORE(エクスキースコア)と呼ばれる新たな監視技術を秘密裏に提供していたこと事実を知ることになりました。
XKEYSCOREは、大量監視によって集められた数兆のコミュニケーションを探索することのできる、世界でも最先端のシステムです。
これを用いることで、地球に張り巡らされたインターネットを飛び交うあらゆる人々のコミュニケーションや、
ポケットやハンドバッグの中で音もなく持ち運ばれる機器の間で交わされるコミュニケーションを監視することが可能となります。”(p11)
このことが明るみとなって、アメリカでは
” アメリカ政府は、自らの監視プログラムの一部が違法であったと認めています。
不十分かつ最低限な改革ではありますが、プログラムの運用を変更する新法も成立しました。
アメリカにおけるプライバシーに対する脅威は今なお深刻ですが、
少なくともアメリカ政府は、ジャーナリストが証拠を提示し、
合理的に否定することが許されないレベルまで十分に証明された状況の下で、監視プログラムの存在は事実であると認め、対話を試みました。”(p20-21)
一方の日本では
” 他方で日本政府は、同盟国が快く思わないとか、文書が本物か分からないから検討すらできないなどと述べ、今なお存在を否定し続けています。”(p21)
という実態。背景には
” 日本には独特のメディア文化があります。政府が法を犯していたり、スキャンダルに関与している場合でも、
攻撃的に事実を報道すると、編集長に電話がかかってきて、政府当局がそのメディアの取材には答えられなくなったり、
競合するライバル会社が優遇したりするといったような一種の圧力がかけられます。
新聞社などで働くプロの記者は、これが紛れもない事実であることを理解しています。”(p22)
と日本の特殊性に言及し、本来、国民的議論に諮られるべき一大事が、
政府内の決定のみで導入されていることにEdward Snowden:エドワード・スノーデンが警鐘を鳴らしています。*これまでの引用は何れもエドワード・スノーデン氏の発言
便利さと引き換えに
本書は、
第一章 米国国家安全保障局による大量監視の実態と日本 ー エドワード・スノーデン 国谷裕子
第二章 9・11以降の監視強化の動きとACLUの戦い ー スティーブン・シャピロ
第三章 日本の監視の現状 ー 出口かおり
第四章 大量監視とプライバシー保護のための仕組み ー ジョセフ・ケナタッチ
第五章 デジタル時代の監視とプライバシー ー ジョセフ・ケナタッチ スティーブン・シャピロ 井桁大介 出口かおり
という目次立てで、
” スノーデン 日本が最良の同盟国であるにもかかわらず、NSAが日本のコンピュータをハッキングし、マルウェア・ソフトを埋めこみ、コントロール権限を奪ってダメージを与えようとしている。
というダイナミックな計画に関して言えば、答えばもちろんイエスです。これは本当のことです。”(p43)
或いは、
” 私たちが直面しているプライバシー侵害が、政府によるものだけと考えてはなりません。
フェイスブック、グーグル、アマゾン、その他多くの企業は、私たちに関する莫大な情報を蓄積し、その売却によって利益を得ています。”(p68/第二章)
また、
” ケナタッチ 通信の傍受は、もちろん非常に侵襲的なものですが、盗み取られるものは通信内容に限られます。
他方、いったんスマートフォンに入り込むことに成功すれば、すべてが手に入ります。その人の生活全体が手に入るのです。”(p122/第五章)
と、何気なくであったり、便利であるからということで日常的に行なっていること、使っているものの目に見えぬ代償など、
進行している監視社会の現実に、憂うべき問題点など、テクノロジー進化のダークサイドとも云える見えざる世界の一端が、ショッキングな形で綴られています。
知らず、知らぬ間に・・
本に、
映画に、
その名を見つければ反応しているエドワード・スノーデンものですが、
久方ぶりに(エドワード・スノーデンが)警鐘を鳴らしている現実に直面させられ「う〜ん」と、大きくため息を。
本書を読み解決策が示されるほどの容易な問題ではありませんが、一つ興味深かったのは、
” ケナタッチ 実は、私たちはインターネットの分裂を目の当たりにしているのかもしれません。
法の支配と基本的人権を遵守する準備を整えた国が主催するインターネットが、新たに分離して生まれる過程なのかもしれません。
・・中略・・
私たちはすでに二つのインターネットを持っているのです。一つではありません。
すなわち、IPv4とIPv6です。インターネットブラウザが上手に切れ目なく表示しているため一つのものにしか見えませんが、実際は二つのインターネットが存在しているのです。”(p147-148)
という指摘で、
これからインターネットの世界が、どのような推移を辿っていくのか、見当つかぬというレベルですが、本書で示された事に対しては、これからも引き続き注視していきたいです。