高田文夫さんの『誰も書けなかった「笑芸論」森繁久彌からビートたけしまで』を読み始めて
第一章 体験的「笑芸」六〇年史
第二章 ビートたけし誕生
第三章 自伝的「東京笑芸論」
と目次立てされているうち、第一章を読み終えたので、そこまでのおさらい。
先月(2019年4月)、
『東京笑芸ざんまい』を読んでいた際、
” 東京の大衆芸能を書きつづってきたこのシリーズ、三部作でこれが三冊目の完結篇。
『誰も書けなかった「笑芸論」』森繁久彌からビートたけしまで』『TOKYO芸能帖 1981年のビートたけし』に続く、これが噂の『東京笑芸ざんまい わたしの芸能さんぽ』である。”(p7)
とあり、
三部作作全部読めているかチェックしたところ本作(『誰も書けなかった「笑芸論」森繁久彌からビートたけしまで』)の未読に気づき、
強運と、笑いの神々と
まず、本書冒頭の「開口一番」で
” 二〇一二年四月一一日、不整脈で突然倒れ、心肺停止八時間。運良く夕食の支度をしていた女房がいち早く気付きすぐに救急車。
家から一番近い駿河台日大病院へ運び込まれた。夜の八時前だったのでお医者様もまだいっぱいいらして奇跡に奇跡が重なって元気に帰ってきた。”(p7)
と、マスコミでも大きく報じられた闘病の舞台裏の綱渡り的状況を経て、高田文夫さんが快方され、本書ほか再起につながっていることを痛感。
本編(第一章)では
” ある時、うちの庭で飼っていた雑種のシロが三匹の子犬を産んだ。二匹は近所にあげて、あと一匹どうしよう?
オフクロは言った。
「シゲさんちの庭にそっと置いてきな。うちの御飯より、シゲさんちの方がいいもの食べられるよ。金持ちの家の方が犬も幸せになれるよ」
その夜、私と姉は忍び足で子犬を森繁邸に置いてきた。果たしてどうなるのか。
そうっと二週間後に見にいくと、森繁久彌がエサをやり、嬉しそうに育てていた。”(p18-19)
とビックリな打ち明け話しに ^〜^;
高田文夫さんの源流
” 今のテレビ・ラジオがあるのは、永六輔、たった一人のお陰でです。”(p55)
或いは
” 私は団塊世代の真ン中六五歳。ものの判断がつくのが一五歳としても五〇年間、半世紀はすべて談志から教わってきた気がする。
芸の良し悪し、うまい下手、すばらしいジョークにいやな洒落。いい奴悪い奴、すべての規準を敬愛する談志から、叩き込まれてきた。”(p72-73)
と高田文夫さんの原体験的述懐に、
” 立川談志師匠に紹介すると、しみじみと顔を見て「カワウソに似てるな」と言った。談志最大級のほめ言葉である。
景山はバカだから中古の消防車を買った。それに乗って放送局へ打ち合わせなどに現れるのだ。
私も一度乗せてもらったが、あれは気持ちがいい。我々が通るとまわりの車がササッと ー とよけるのだ。”(p91-92)
と今も(私の)脳裏に刻まれる「民夫くんと文夫くん」を含む故景山民夫さんとの思い出話しであったり・・
「あぁ、そういえば」といった懐かしさに、令和から昭和に一気に引き戻される感覚に・・
今一度、身体に染み込んだ古き良きを噛みしめることが出来る機会を得られる楽しい読書となっています ^^