作家/哲学者 適菜収さんの
『日本をダメにしたB層の研究』を読了。
(2019年)9月に参加していた舛添要一前東京都知事と適菜収さんのトークイベントで
舛添要一前東京都知事が、適菜収さんを注目することになったきっかけについて、本書(若しくはB層について取り上げた著書)を取り上げられており、
当日会場で販売されていなかったことから、後日買い求めていたもの。
B層、その巨大なる・・
タイトルに冠された「B層」とは、
” B層とは『マスコミ報道に流されやすい『比較的』IQ(知能指数)が低い人たち」です。”(p54)
と、この言葉が生み出されたのは
” 二〇〇五年九月のいわゆる郵政選挙の際、自民党が広告会社スリードに作成させた企画書「郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略(案)」による概念です。
この企画書は、国民をA層、B層、C層、D層に分類して、「構造改革に肯定的でかつIQが低い層」「具体的なことはよくわからないが小泉純一郎のキャラクターを支持する層」をB層と規定しています、”(p55/括弧書き省略)
という経緯。
マスコミの報道の仕方の如何様によってもB層が容易に操作されてしまうことの弊害、警鐘が鳴らされていますが、
共感したのは、
” 今は誰もが参加したがる時代です。そして参加してはならない場所に参加してしまう。”(p37)
SNSが浸透したことで、既に誰もが発信者になれる時代から、さらに発信者のハードルが下がってきて、
ヘッドラインに反応して、シェアなり、コメントが添えられている投稿をしばしば目にしますが、
考えてみるなり、調べてみるなり、といったプロセスが省略されていると思わしき様子は、他山の石とせねばと思っていた折、グサッっと響いてくる指摘でした。
根底を確立す
適菜収さんの著者は⬇︎
に続いて2冊目で、本書でも舌鋒は鋭いですが、
” 大衆とは「人間のあり方」なんですね。隣の人の価値基準に寄り添う人、自分を持たずに流されていくような人です。
オルテガの言葉を使えば、「多くをもとめ、進んで困難と義務を負おう」としない人々、「自分に対してなんらの特別な要求を持たない人々」です。”(p65)
或いは
” デモの原理は「参加」です。
普通の大人なら、デモをしたところで原発が止まるわけがないことくらい理解しています。
むしろ、デモを始めた途端、すべての原発が止まってしまうようでは、怖くてデモもできなくなる。”(p68)
など、これまで何となく捉えていたり、しっかり言語化出来ていないことが、
明確に定義されていることからの学びも、本書の読書を通じて得られました。