阪神タイガース時代はミスタータイガースの称号を背負い、プロ野球界で今も高い人気を誇る
田淵幸一さんの著書『タテジマ』を読了。
先日参加した「プロ野球OBクラブ25周年記念 ファンとの集い」⬇︎
に田淵幸一さんがされることで、
事前に「何かサインように著書はあるかな・・」と物色していた際、
「サイン入り」とのことで本書の存在を知り、後日廉価な価格で買い求めていたもの。
ミスタータイガースとしての宿命
本書が刊行されたのは田淵幸一さんが阪神タイガースOB会会長に就任された2010年に遡り、
第一章 城島でどうかわる?
第二章 私とタテジマ
第三章 タテジマの仲間たち
第四章 伝統の一戦 阪神vs巨人
という目次に沿って、第一章はリアルタイムに読んでこその内容ですが、以降は
ドラフト前の
” 気持ちは巨人一本。タテジマには全く興味がなくなっていた。巨人も私を欲しがっている。
田園調布の長嶋さんの自宅に呼ばれたし、4年秋のリーグ戦終了後には川上哲治監督に赤坂でふぐ料理をごちそうになった。
生まれて初めてのふぐを口に運びながら、夢見心地で川上さんの話を聞いた。
「君には背番号2を用意している」”(p80)
というお膳立てが運命のいたずら?により阪神タイガースの指名を受け、
” 後ろからハンマーで頭を殴られたようなショック。信じられなかった。阪神は事前のあいさつが一切なかったばかりか、盟友の富田と相思相愛のはずだった。”(p82-83)
と当初は入団拒否の姿勢から、以下に言及する状況から一転入団。
そこから
” 私は阪神に入ってよかったと思った。ドラフトで叶わなかった巨人入団の夢。思わぬ阪神からの指名に大ショックを受け、巨人への淡い期待を寄せた。
結局は巨人のスカウトとの密会が見つかって阪神入団を決意したのだが、そんな自分をファンがこれほど温かく迎えてくれている。うれしかった。”(319)
というところもろもろミスタータイガースの栄光と苦悩の日々がたっぷり記されています。
そこには、頭部への死球から
” 危険は状態は続いた。意識が戻らないため、9月1日に大阪市福島区の大阪厚生年金病院へ転院。
担当の尾藤昭二脳神経外科部長は父に二者択一を迫った。
「頭部を切開して血腫を取り除けば意識は戻りますが、野球はできなくなります。それとももう少し様子を見ますか?」
父は答えた。「もう一度野球ができるようにして下さい」
しかし、様子を見るにも限界がある。2日待って意識が戻らなければ切開することになった。”(p98-99)
と選手生命の岐路に立たされた危機に、
” 私がイメージダウンしたからこそ生まれた「がんばれ!!タブチくん!!」が私たちを結びつけてくれたのだ。
人生は何が幸いするかわからない。”(p130)
と、一世を風靡したマンガと結婚が絡んできたエピソードに、期待以上に濃密な内容でした。
後追い田淵幸一伝説
世代的にミスタータイガースといえば掛布雅之さんで、幼き頃の田淵幸一さんの思い出といえば、深夜のトレード通達により、
阪神タイガースから(当時の)西武ライオンズに放出された頃のイメージが色濃く、
その辺りの述懐も含まれていますが、全盛期の巨人戦7打数連続本塁打や盟友 江夏豊さん等との秘話など
本書でミスタータイガースとして放った輝きが十二分に伝わる内容で、今さらながらに田淵幸一伝説を後追い出来、その部分に大いに読み応えを実感出来ました ^^