シンガーソングライターにタレントと多方面で活躍されているなぎら健壱さんの『高田渡に会いに行く』を読み始め
出会いと黎明期
証言1 高田 烈
証言2 高田 蓮
証言3 高田 富美子
証言4 佐久間順平
証言5 シバ
と章立て(別途、前書き 等)されているうち「証言2 高田 蓮」まで読み終えたので、そこまでのおさらい。
一度本書サイン本の販売機会があり、扱われているテーマからスルーしていたものの、機会を逃した後から後悔の念を抱き、
再度訪れた入手機会に購入していた経緯。
なぎら健壱さん及び所縁深き人たちから浮かび上がらせる実像
最初、購入を見送っていた経緯が、本書の主人公である高田渡さんについて承知していなかったことで、
実際、購入する段になっても「まったくさらの状態で全331ページどうかなぁ・・」などと不安を抱えての読み始め。
なぎら健壱さんと高田渡さんは
” なぎら なんで今回本を書こうかと思ったかというと、今までも渡ちゃんはいろいろと書かれているし、あたしも書いたんですけれども、もうちょっとヒューマン的に迫りたいなと思っているわけ。”(p58)
と、なぎら健壱さんご自身、高校時代に足を運んだ高田渡さんの出演を含むコンサートで、
” この夜のコンサートは、まさにフォーク時代の到来を告げるものであった。当然私もその一人であったわけなのだが、とにかくこのコンサートで私は大いなるカルチャーショックを受けた。
今まで歌ってきた英語のアメリカン・フォークは一体何だったんだろうという疑問さえ持ち、アングラ・フォークに強く感化されていったのである。
それ以来、それまでのモダン・フォークのコピーは一切捨て、アングラ・フォーク一辺倒になるのである。”(p24-25)
という衝撃を与えた人物の一人。因みにこの時の高田渡さんは
” 第一印象は失礼だが、「風采の上がらない見映えだな」であった。言い換えれば「暗い、貧乏臭い」とも目に映った。
普段着としか思えない格好で、ポツリポツリとしゃべって歌うその姿に、「なんだこの人は?」と思ったのを覚えている。
そのとき進行役の高石が、「彼はまだ高校生です」と紹介した。私も高校1年か2年になる頃である。
ーええ〜っ、同じ高校生かよ!”(p18-19)
と、なぎら健壱さんと同世代ながら早くから頭角を現していた模様。
その後、なぎら健壱さんと高田渡さんの親交を深めてくることになり、生前(高田渡さんは2005年没)の直接のエピソードや証言では、ご兄弟やご子息など高田渡さんをよく知る方々の言葉で、人間 高田渡が浮き彫りにされていく内容。
酒に翻弄され事欠かぬ・・
なぎら健壱さんの「ヒューマン的」が意図されているだけに、
” なぎら あたしは何回か見てるんだけど、ライブハウスで一番困ったのは(江古田の)『マーキー』で、酔っぱらって、最後イスからずり落ちて床に座って、ギターマイクで歌いだした。
そのとき『マーキー』のオーナーの上野さんとあたしで渡ちゃんをステージから運び出して、楽屋に連れて行って寝かしたんですよ。”(p139)
或いは、
” なぎら 地方にライブに行くときに、その近くの人が「うちに泊まってください」って言うと、前の前のりで行って泊まって、ずっと酒飲んでるんですよ(笑)家人としてはたまったもんじゃない。
・・中略・・
高田蓮 「いくらでも泊まってください」って言われたって、ふつうせいぜい1日泊まって帰るじゃないですか。それが1週間もいたらさすがにねぇ(笑)”(p154-155)
と、序盤から人間臭すぎる逸話満載 ^^ 本文の記載から
フォークシンガー・高田渡のドキュメンタリー!映画『まるでいつもの夜みたいに 〜 高田渡 東京ラストライブ』予告編
ドキュメンタリー映画も複数製作されているようで、そちらへの興味も掻き立てられましたが、先ずは本書を通じて馴染みのないフォーク界のレジェンド伝にどっぷり浸かってみようと♪