フィギュアスケート界を牽引した第一人者浅田真央さんの『浅田真央 私のスケート人生』を読了。
昨年(2020年)末に読んだ
『浅田真央 100の言葉』が印象的で、「また何か・・」と思っていたところサイン本が手に入る機会があり、手元に引き寄せていた経緯。
引退が脳裏を過ぎる日々
引退発表の舞台に始まる(プロローグ)は、
I 浅田真央、引退
II 浅田真央、「フィギュアスケーター・浅田真央」を語る
III 次のステップ
の章立てのもと、
” 表現面を評価する演技構成点では高い得点が出るのだが、ジャンプが決まらないのだ。
技術点がブレーキとなり、総合の得点が伸びてこない。真央の気持ちは揺れ動いた。
真央はそのころの苦しい状況をこんなふうに振り返る。
「がんばってみよう、と思ってはじめたシーズンだったのですが、いろいろなことがうまく回っていきませんでした。
そのせいもあって、試合も思うようにいかなくて。試合を終えるごとに、『もう無理かもしれない』という思いが強くなっていきました。」”(p30)
という引退に至る苦悩、葛藤に、
“「あのリンクのなかで、自分ひとりでした。スポットに入り込んだような気がして、もう周りのことも気にならず、オリンピックの雰囲気にのみ込まれることもなく、あの場で自分が滑っていた。不思議でした。ゾーンに入るというのか・・・。
トリプルアクセルを降りたときには『救われた』と思いましたし、そのまま一つひとつ、無心に滑っていった感じです」
結果、真央の演技は、トリプルアクセルをはじめ八本のトリプルジャンプを成功させるパーフェクトな出来となった。”(p111)
というソチ・オリンピックでの天国と地獄に、(その前の銀メダルを獲得したバンクーバーを含め)オリンピックをハイライトした内容になっています。
諸刃の剣であったトリプルアクセル
その中で印象的であったのが、
” 六種類のジャンプのうち、唯一前向きに踏み切り、空中でほかの三回転ジャンプよりも半回転多い「三回転半」回る、もっとも難度の高いジャンプである。
その難しさゆえ、女子で跳べる選手はスケート史上にも数えるほどしかいない。”(p70)
という浅田真央さんの代名詞ともいえるトリプルアクセルに関しての記述、
” トリプルアクセルは好きですか、と問うと、
「いいえ、好きではないです。(笑)」
という返事が返ってくる。”(p74)
或いは
“「最初のころは、とくに身構えなくても、軽く跳べていました。でもそのあとは、やっぱり身体も変わっていきましたし、自分の精神的な部分も少しずつ変化していって・・・。
跳ぶのが難しいと感じる時期があったんですけれど、でも、あきらめなかったことが、自分を強くしてくれたと思います。
最終的には、はじめのころに跳んでいたジャンプよりも、いいジャンプが跳べたと自分では考えています」”(p73)
思い入れ。
浅田真央選手の滑走前「トリプルアクセル跳ぶのか(翔ばないのか)」ということは常に注目されていたと思いますが、
その影でご本人が抱えていた苦悩。浅田真央さんの選手生活を輝かせてくれたのはトリプルアクセルであったけれども、
また、苦しめられたのもトリプルアクセルであったという光と影を抱えていたことに言及されていますが、それを乗り越えようとする姿勢に、また多くのファンが惹きつけられていったことが本書を通じてよく理解出来ました。