刀鍛冶 川﨑晶平さんの
” 虎ノ門にあった会社を辞めた後、学生時代のバイト先に転がり込み、渋谷を根城に気楽に生きていた自分に、なぜ苦行僧のような生活ができたのかは分からない。
分からないが、あの時間があったからこそ、今の自分は好きなことを仕事にしてご飯を食べていられるし、親方にも、おかみさんにも心から感謝している。
ところが、その九年間には理由の分からない飢餓感がついてまわり、それは今も消えないまま、「足りない、何か足りない」という気持ちが湧いてきてならない。
その足りないものが何か、どうすれば満たされるのか、当時のことを思い出しながら書いていけば見つかるのではないだろうか。
有り難いことに、「そんな話を書いてもいいよ」
と言ってくださる方があったので、皆様には、刀鍛冶の手の内と胸の内にしばしお付き合いいただきたい。”(p4-5)
との思いから上梓に至った『テノウチ、ムネノウチ 刀鍛冶として生きること』を読了。
刀鍛冶という職業(川﨑晶平さんの物言いでは作家)があることは長く承知していて、
明治大学卒という親近感に、サイン本販売機会 ↙️
に乗じ入手していた著書。
ひた走り刀鍛冶を目指した日々。そして・・
本書は、大きく
第一章 修行時代
第二章 刀鍛冶の今、そして未来
と、宮入小左衛門行平氏に弟子入りされ
” ドロップアウトしかけたぼくを救ったもののひとつは「空っぽ」だったことだ。何もない「空っぽ」な人間だったおかげで、二十五歳にもなって馬鹿になりきって弟子を続ける事が出来たし、真っ新な状態で親方の一挙手一投足まで吸収することができた。”(p19)
という日々に、
” 寄席に行くようになったのは、しゃべる必要がなかった長い修行生活が明けて世間に出てみたら、タクシーで行き先を言うのも苦痛なくらい、人しゃべるのが苦手になっていたせいだ。”(p175)
と修行時代を凄まじさを物語るエピソード等のほか、刀鍛冶としての日常に加え、友人に誘われ魅了されたとの『新世紀エヴァンゲリオン』に映画好きであることから『大脱走』はじめお気に入り作品への思い入れなど一般人と変わらぬプライベートな面も。
現代の刀鍛冶として生きる矜持
全編を通じて最も印象に残ったのは、
” 最新作が最高傑作。その覚悟がなければ現代の刀鍛冶なんて生き残ってはいけないのだ。
ぼくは刀鍛冶として生きていくために、あの独房のような弟子部屋で過ごし、その間、世の中の楽しみをほとんど捨てた。
しゃべることすら忘れてしまっていた。”(p235)
に刀鍛冶に賭けた思いに、
” 誤解を恐れずに言えば、ぼくの刀には、いや少なくとも目指す美しさには王が所持するにふさわしい風格がなくてはならないと思っている。”(p146)
刀鍛冶として生きていくことの矜持。
縁遠かった世界へ踏み出せた半歩
その領域に達するには、
” 「火傷と怪我は自分持ち」と言われる世界 “(p118)
” 弟子時代から今日まで、来る日も来る日も手鎚を握るうちに、リズミカルに鉄を叩けるようになった。手の皮は厚くなり火の付いた炭でも掴める。灼熱の日々は、美しい刀を創るという快楽に変わる。継続は魔力である。”(p212)
など、様々な壮絶を乗り越えられての現在地。本書購入直後に
銘切りプレート当選↑という強運にも恵まれ、今まで漠然とした興味を有していながらも近寄り難かった世界。
敷居の高さは改めて感じたことですが、川﨑晶平さんが本書で示された刀鍛冶としての矜持は日本刀の世界への興味を強くしてくれたことにもなりました。